三津ツアー

25日のこと、日米交流団体ジャパン・ソサエティ(本部:ニューヨーク)と日本NPOセンターが共同で進める「地域人材の日米交流プロジェクト」のスピンオフ企画として、「ローカルが育むグローバルな価値:日米交流で考えるコミュニティ再生」と題するフォーラムが愛媛大学で開催された。学内に同時通訳可能な設備を備えた部屋があることを、初めて知った。

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翌26日、その参加者の皆さんを三津ツアーにご案内する大役を仰せつかった。港山駅側から渡しで三津入りし、木村邸、旧鈴木邸、みつはまDOON!の前を通って、ミツハマルへ。ここでミツハマルの楠さんと合流し、濱田医院へのアテンドもお願いした。濱田医院見学後は、住吉公園を通り抜け、田中戸、リテラ、N's kitchen**&laboを見学した。

さすがは社会問題の解決をめざしてそれぞれのフィールドで日々実践を積み重ねている専門家たちである。行く先々で矢次早に質問が飛び出し、タイムキープは困難を極めた。というか事実上タイムキープできなかったといってよい。本当は練りや正雪の酒井さんにもお話をおうかがいしたかったが、時間切れで断念。12:30に当初の計画よりも30分遅れで、昼食会場の木村邸へ。

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木村邸では、ノガミサヤカさん作のお弁当をいただいた。無理を言って、ノガミさんにメニューの解説もお願いしてしまった。おかげさまで、一行もお弁当の中身に興味津々だった。

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そうこうしているうちにあっという間に時間が経ち、一行は、13:45頃、借り上げバスで三津をあとにした。松山観光港から海路で、次の目的地・広島に移動するらしい。

ともあれ、ツアーが無事に終わってよかった。ミツハマルの楠さんや、大人数で立ち寄らせていただいたお店の方々、お忙しい中木村邸までかけつけてくださったノガミさんに、この場を借りてお礼を申し上げます。

話を25日のフォーラムに戻す。冒頭のコニー先生の報告からして、ネブラスカ州とその他の都会の州との間の学士卒資格保有者の割合(前者の低さ)が話題にあがっていたし、他の登壇者の話からも、地方でクリエイティヴな人材をいかに確保・育成するかといったことが課題であるとのイメージを得た。農村を振興するにしても、ローカルフードの普及を考えるにしても、社会を変えていくためには、担い手が必要になるし、その担い手たちに求められるのは、何らかの意味でのクリエイティヴィティである。

そして、クリエイティヴ人材は、都会からの移住者であったり、地元出身者であるにしても一度都会に出てからUターンなどで戻ってくる層の中に多い。愛媛で仕事をして6年半になるが、これまでの経験に照らしても、おもしろいことを実践している人は、やはりIターン者であったりUターン者であったりすることが多かった。
その一方で、ここ数年、松山市にしても愛媛県にしても愛媛大学にしても、愛媛出身の学生を、愛媛の大学に進学させ、そのまま愛媛の企業に就職してもらおう、という路線の各種施策を推進することで、人口減少に備えようと躍起になっているように思う。愛媛県民のクリエイティヴィティ水準をむしろ下げることにつながらないか、不安に思う次第である。
26日の木村邸でのランチに際して、ツアー参加者の1人であるサバンナさんに、上記のような話をしてみた(どれだけ伝わったかはわからないが…)。やっぱりアメリカでも、クリエイティヴな人材は、地域の外を一度経験していることが多いそうである。「次の時代の人材を、地域の中だけで、育てていくことができるか?」という問いに対しては、「おそらくNo」との答えが帰ってきた。背中を押されたような気分になった。