『卒業』と『砂の器』

ここ2~3年、TSUTAYA DISCASを利用している。元々は、愛媛のレコードショップでは取り扱っていないようなCDを取り寄せて聴くために入会した。しかし、DVDも取り寄せることができるため、時々映画も視ている。

妻(当時はまだ「妻」ではなかったが…)と初めて、映画館ではなく部屋で一緒に視た映画は、TSUTAYA DISCASを使って取り寄せた大島渚の『太陽の墓場』(1960年)だった。公開当時はそこそこヒットした映画らしいが、現在の感覚で視るともはやカルト映画である。彼女が今時のフツーの女子であったならば、そのままお別れになっていたかもしれない。

それ以来、『太陽の墓場』が「セーフ」であったことに味を占め、自由な映画選びを続けさせてもらっている。「大島作品を1つ1つツブしていく」ことも、自由闊達な映画選びの賜物である。それにしても、松田龍平北野武武田真治などのように、現在でもテレビでよくお目にかかる俳優の出演する『御法度』(1999年)はともかく、『青春残酷物語』(1960年)や『日本の夜と霧』(1960年)は、今時の女子と一緒に視るような映画ではない。こんなマニアックな映画を一緒に視てくれた奇特な妻には、感謝しなくてはならない*1

ところで、TSUTAYA DISCASのシステムについて、もう少し詳しく説明しておきたい。これは、専用アプリ上で聴きたいCDや視たいDVDを定額リストに登録しておくと、優先順位の高い順に2枚ずつ、自宅に配達してもらえるサービスである。プランによって、月間最大利用可能枚数が異なる。僕が加入しているのは、月に8枚まで借りることのできるプランである。

月に8枚借りることができるとはいえ、一度に配達されてくるCD/DVDはあくまでも2枚ずつである。したがって、サービス利用者は、毎月支払う金額の元をとりたければなおさら、迅速に視聴して、迅速に返却する必要がある。でないと月に8枚の枠を使い切ることができなくなる。最初は音楽(CD)だけを取り寄せるつもりだったから、iTunesライヴラリに取り込んだのち、迅速に返却すれば、月に8枚なんて容易にこなすことができると思っていた。ところが、映画(DVD)を混ぜ始めてから、回転が極端に悪くなった。まずもって、映画は1本視るのに2時間程度かかる。さらに、音楽(CD)ならば、とりあえずiTunesライヴラリに取り込んでおいて、あとから聴くということもできるが、映画(DVD)だとそうもいかない(やろうと思えば、DVDから映像ファイルを取り出し保存しておくこともできなくはないのだが、かなり面倒な作業である)。

一番困るパターンは、映画(DVD)一度に2枚送られてくることである。クソ忙しい時期にこういうことが起こると、2本の映画を視聴し、返送するまでに、1~2週間要してしまったりする。1~2回こういうことを経験してから、定額リストの優先順位の組み方を工夫するようになった。映画(DVD)が連続して並ばないようにしたのである。

ところが、それでもなお、稀に計算外のことがおこる。先述したように、このサービスは、定額リストに登録されているCDないしDVDの内、優先順位の高いものを2枚ずつ宅配してくれるが、他の利用者に貸出中のものについてはパスし、その下の順位のものを繰り上げることになっている。CDとDVDが1枚ずつになるように定額リストの順位を組むようにしているが、上位のCD(音楽)が貸出中であった場合に、相対的に下位のDVD(映画)が繰り上げ当選し、結果として2枚のDVDが配送されてくることも、稀にある。

今回、久しぶりのレアケースに遭遇した。送られてきたのは、『卒業』(監督:マイク・ニコルズ;1967年)と『砂の器』(監督:野村芳太郎;1974年)。これまた、今時のフツーの女子と視るような映画ではない。

『卒業』は、いわゆるアメリカンニューシネマの代表作といわれる作品。だから全般にもっと暗いトーンの映画かと思っていたが、クスリと笑えるシーンも多かった。

たとえば、ベンジャミン(ダスティン・ホフマン)とエレーン(キャサリン・ロス)がお茶するためにホテルを訪れるシーン。このホテルは、ベンジャミンがミセス・ロビンソンアン・バンクロフト)との逢瀬のためにしばしば偽名で利用していたホテル。ホテルのスタッフたちからすると、ベンジャミンは挨拶しなくてはならない常連客グラッドストーンさんなのである。エレーンからすると、「え?このホテルよく使ってるの?しかもどうして偽名で使ってるの?」となる。さらに、エレーンを連れてホテルから退散しようとするベンジャミンに、追いうちをかけるように老婦人が「こんにちは、ブラニフさん」。文章で説明するのは難しいが、このシーンは傑作だった。

『卒業』にはこんなシーンが無数に散りばめられている。不倫や駆け落ちを題材とした映画であるからして、上記のようにクスリと笑えるシーンがなければ、もっともっと重苦しい映画になっただろう。

砂の器』を視るのは二度目だった。この映画の感想は、ただただ「日本の田舎が美しすぎる」の一言に尽きる。序盤に登場する秋田県由利本荘市も美しかったが、やはり、石川県の合掌造りの集落と、亀嵩を始めとする島根県木次線沿線の情景がサイコーだった。さらに、ハンセン病をわずらった父と、その子が、全国を放浪するシーン。さまざまな場所のさまざまな情景が、残酷なまでに美しい。こうしたロケ地はどうやって見つけたのであろうか? 地域づくりに関心を有する身としては、地元側にフィルムコミッション的業務を請け負った組織があったのか?なかったのか? といったことが気になる。
そういえば、同じ野村芳太郎監督の『八つ墓村』(1977年)でも、「日本の田舎」を描写することに、相当の尺を費やしている(情景だけでなく、都会人の視点からすると非合理に思える慣習まで含めて描写されている)。ひょっとすると、この時期の野村監督は、失われつつある「日本の田舎」を少しでも映像に残しておきたいと考えていたのかもしれない。

ストーリーや作品それ自体の評価については、あえて割愛した。気が向いたらまたの機会に書いてみたい。

*1:ちなみに、上記のほかに取り寄せて視たものといったら、思い出せるだけでも、『太陽の季節』(監督:古川卓巳;1956年)、『勝手にしやがれ』(監督:ジャン=リュック・ゴダール;1959年)、『タクシードライバー』(監督:マーティン・スコセッシ;1976年)、『必殺4 恨み晴らします』(監督:深作欣二;1987年)、『レザボア・ドッグス』(監督:クエンティン・タランティーノ;1992年)、『パルプ・フィクション』(監督:クエンティン・タランティーノ;1994年)、『萌の朱雀』(監督:河瀬直美;1997年)、『バトルロワイヤル』(監督:深作欣二;2000年)といったところである。