拙稿

マーケティングジャーナル』(日本マーケティング学会)に寄稿の機会をいただいた。

衰退商業地における新規開業事例に関する研究

松山市三津は県都松山の外港として栄えた港町である。しかし、1980年代頃より衰退が始まり、シャッター街化していた。いや、厳密にいうと、シャッター街化の次のフェーズまで進んでしまっていた。つまり、閉鎖店舗が取り壊され駐車場化されてしまった事例や、閉鎖店舗が住居へと建て替えられてしまた事例が目立つようになっていた。

しかし、2010年代に入ってから、新しい感覚の商店主たちが存在感を発揮し始めた。具体的には、練や正雪、田中戸、N's kitchen**&labo、みつうつわ、餃子のぶ、あかり、Bitter & Sucre、リテラ、とぉからなどである。また、そうした店舗ができる以前から、「三津のリトルイタリアン」ことFLORが孤軍奮闘してきたことも忘れてはならない。

さらにいえば、ミツハマルができたことで、空き家や空き店舗のマッチングが円滑化されたことも、店舗や移住者の微増を考えるうえでは無視できない要因である。

とはいえ、僕自身は、上記のような流れの形成を考えるうえでは、やはり、練や正雪、田中戸、N's kitchen**&laboあたりの出店プロセスが重要であると考えている。

今回の論文では、松山市三津地区でパンの製造小売業を営む N's kitchen**&labo の小池夫妻と、かき氷が人気の喫茶店・島のモノ喫茶田中戸の田中さんにヒアリングした結果をまとめている。

また、上記の流れの形成を考えるうえで、三津地区の家賃相場が低下してきたことも大事である。類似する他の衰退商業地においては、まちそれ自体は明らかに衰退しているにもかかわらず、バブル期の感覚の抜けきらない家主や地権者の存在によって、家賃相場が高止まりしてしまっている事例も散見される。ここから、なぜ三津地区では家賃相場を下げることができたのか、という疑問が生じる。

この点に関して、僕自身は、長らく三津浜商店会の会長を務めてこられた男子専科ヤング(紳士服店)の丸山さんの存在が大きいと考えている。近年こそその役割をミツハマルに譲っているものの、丸山さんは、三津への出店希望者のために、物件を斡旋したり、家賃相場の適正化のために家主へのはたらきかけをおこなったりというように、今でいえばエリアマネジメントと言えるような取り組みに力を注いできたのである。丸山さんがいなければ、新しい感覚の商店主たちが三津に集積し始めるきっかけは得られなかったのではなかろうか。

以上のような観点から、今回の論文では、丸山さんへのヒアリングもおこなっている。

小池さんにしても田中さんにしても丸山さんにしても、普段からお世話になっている方々である。お世話になった方々の取り組みを活字化できてよかったと思う一方、まだまだ、整理の仕方に粗もあるし、ひょっとしたら当事者たちが本意としないまとめ方をしてしまっているかもしれない。そのあたりの不安はあるのだけれども、三津のまちに通うようになってからもう5~6年経ち始めていることもあって、そろそろ何がしかの中間報告が必要ではないかという感覚もあった。ありうべき誤謬は真摯に受け止めたいと思っているので、ご興味のある方はご高覧いただきたい。