ブログ再開(なるか?)

気がつけば3年近く、ブログを放置してしまった。

放置すればするほど、「再開」する際には気合いの入った更新を用意したいと思う一方、そういう発想自体が「再開」のハードルを上げてしまう側面もある。経験則からいえば、気軽な更新から「再開」につなげていく方が、いいような気がしている。

そういうわけで、お盆休みは妻の実家に「帰省」(?)している。「家の近くに本屋さんができたらしい」ということで、行ってみることに。8月14日の話。

 

goo.gl

この本屋さん、名前を「まるとしかく」という。行ってみると、本当に妻実家から散歩がてら訪問するのにちょうどよさそうな距離感のところに立地していてびっくり。Google Street View にも補足されていない農道がアプローチ代わり。いい感じである。

まるとしかく入口へと続く小径

到着時にちょうど雨が降ってきたので写真は撮らなかったが、ここいらに残存している建物の中でも「別格」と一目でわかるレベルの古民家。母屋をお宿に、蔵(農機具小屋?)を本屋さんに改装しているようである。

ありがたいことに、入店するやいなや1歳11ヶ月の娘がおネムに。他にお客さんがいなかったこともあって、店内で寝かせてもらえることに。

本屋内で寝る娘

他にお客さんがいないのをいいことに我が物顔で寝る娘

「まるとしかく」さんの立地上のポイントは、脇町の Old Central ではなく、河岸段丘の上にお店(&お宿)を構えていること。「脇町」と聞けば、多くの人は「うだつの町並み」(≒ここで言う Old Central)を思い浮かべる。実際、うだつの町並みの中に、ゲストハウスも、喫茶店も、レストランも、シェアショップもある(ついでに言うとシェアショップの中には本屋さんもある)。観光客もひとまずこのエリアをめざしてやってくる。集客面だけを考えるならば、Old Central に店を構える方が楽だったのではないかと思う。

しかし、「開発圧力」の緩やかな段丘上でなければ、これほどまで素敵な物件は見つからなかっただろう。聞けば宿屋になっている母屋の築年数は100年超えとのこと。しかも、妻の実家が近くにあるからよくわかるのだけれども、段丘の上は夏場でも風が抜けて涼しい。むしろ諸々の「条件に恵まれている」本屋兼宿屋とすらいえる。

吉野川とその2つの支流(曽江谷川と大谷川)に囲まれたエリアが段丘になっている。

吉野川とその2つの支流(曽江谷川と大谷川)に囲まれたエリアが段丘になっている。

娘が寝ている隙に、店主さんと諸々情報交換。岸政彦、なタ書のキキさん、淵野辺、共通の知り合いであるTさんのこと...etc. ラリーが続く続く! とはいえ、あんまり書きすぎると「個人情報」の域に達し始めるので割愛。

本屋さんでは、「店の品揃え形成がなければ出会わなかったであろう本」、あるいは「出会うまでに相当の時間を要したであろう本」があれば、なるべく買うようにしている。

今回は、

の2冊を購入。2冊とも、台風が通り過ぎていくのを待ちながら、サクサクっと読み終えることのできる分量でちょうどよかった。

五十嵐(2022)は、日本において、「排除アート」ないし「排除ベンチ」とよばれるものがどのような経緯で生み出されたのか、また、マイナーチェンジを繰り返しながら生産され続けている文脈はどのようなものなのか、といったことについて、基本論点を整理してくれている。事例も豊富。「排除ベンチ」のデザインは、「排除」していることすら意識させないレベルにまで「巧妙化」しており、読み進めるにつれてますますやるせない気持ちに…

2冊目はまるとしかくさんにおすすめしてもらった1冊で、坂田美優さんという神戸の学生さんが、岩手の大船渡は越喜来(おきらい)というところにある「ハウルの船」に2ヶ月ほど滞在した経験をつづったもの。

正直言えば、おすすめしてもらう前から僕の心はわしづかみにされていた。大船渡は、昨年秋に、東北食べる通信の編集長さんにお会いすべく、学生たちと繰り出した旅の目的地の1つ。越喜来は直接の目的地でなかったとはいえ、宿泊地ではあった。土地勘のある場所のことをつづられると、ついつい読みたくなる。そこにダメ押しのように、まるとしかくさんが「とにかくすばらしいんですよ」とおすすめしてくれるものだから、買わないという選択肢はなくなってしまった。

坂田美優著『大船渡 ハウルの家』表紙

坂田美優『大船渡 ハウルの船』表紙

坂田美優『大船渡 ハウルの船』中身

坂田美優『大船渡 ハウルの船』中身

ハウルの船」とは、吉浜湾と越喜来湾の間の半島(越喜来半島というらしい)にあるコテージのことらしい。元々、作家のアトリエ兼住居として建てられたものだが、紆余曲折あって「わいちさん」という人物の持ち物件になっている。著者の坂田さんは、縁あってそこに2ヶ月ほど滞在することになった。滞在時に考えたこと、感じたことなどを、できる限り素直に、そしておそらくは少しばかりの「背伸び」的要素も込めながらつづったのが本書ということになるだろう。

自分の進路に対して、とくに「自立」(自分の力で生きていくこと)に対して、随所に葛藤のようなものが表現されている。自分が二十歳そこそこだった頃のことをついつい思い出す。

本書全体が「自分の文体を確立していくプロセス」になっている(ように思う)。文体が「安定」してくる終盤、語り口に重みが増し、頼もしく思う。ちなみに、これは小山田咲子さんの『えいやっ!と飛び出すあの一瞬を愛してる』を読み進めながら抱いた感覚と一緒*1

そこに、みずみずしいタッチで表現された生活体験(薪ストーブ、鹿の止どめ刺し、甲子柿...etc.)が加わる。いちいち美しくてため息が出る。

たしかにまるとしかくさんの言う通りだった。「すばらしい」と言うよりほかなかった。