「読書道」のたたき台
何気なしにつぶやいたこのツイート(post)に…
しっかり読書する部活ってつくれないものなんですかね?
— にゃまぐち (@nyamanyamaguchi) 2023年9月4日
「読書道」みたいなのがあってもいいかな、と。
ありがたいことに…
これやりたいですねー📕
— きのてぃ🌟歩いて動いて元気にいこう (@junkohino) 2023年9月6日
1人で読むには眠くなるし(←わたしだけかw)、誰かと一緒だったりカフェ等だと会話してしまうし気が散るし😆
会話なし&気遣いなしの部活的な場を作りたいです。
…とご反応いただいた。
で、調子にのって、こんなことや…
所作まで含めた読書の「型」をつくって啓蒙した方が、おもしろがる人も多いかもなとか思ったりします。
— にゃまぐち (@nyamanyamaguchi) 2023年9月6日
こんなことも…
①お菓子+コーヒーかお茶を用意する。
— にゃまぐち (@nyamanyamaguchi) 2023年9月6日
②机の上に本を置いて表紙を眺める。
③手にとって装丁を愛でる。
④パラパラして本の匂いを嗅ぐ。
⑤小一時間集中して読む(飲み物を飲んだりお菓子を食べるのは可)
⑥感想をSNSに投稿(途中経過でも可)
⑦残った飲み物は一気に飲み干す。
…つぶやいてみた次第である。
で、それを見返していて、案外悪くない方向性なのではないかという気がしてきた。「自画自賛」とはこのことですか? そうですか…
こういうことをついついつぶやいてしまった背景には、いちおうは問題意識的なものがある。最大のものは…
- 本を読む習慣のない人が増えている。
- 結果として「議論を重ねること」の意義が軽視されがちな風潮
- 過度に単純化された「わかりやすい」議論に飛びつく人が多くなっている。
- それだけならまだいいが、最近はその傾向が行き着くところまで行き着いてしまって、込み入った議論ですら「単純化」して「わかりやすく」整理できなければダメだ、という風潮も生まれ始めているのではないか…
…といったもの。
「おっさんの小言」みたいになってしまうかもしれないが、結果として、政治のこと、教育のこと、地域づくりのこと...etc. 掘り下げた議論に参加できる一般市民の割合が、著しく下がってきた。これはこの国にとっても不幸なことだと思われるし、練りに練って紡ぎ出した論文の意義が、引用数とかインパクトファクターとか、「わかりやすい」数値的指標でしか評価されにくくなっていく、という意味では、わたしども大学教員にとっても不幸なことである。
読書会の「敷居の高さ」
読書文化を盛り上げるためにはどうしたらよいだろうか?
1つの解決策として「読書会」というものがある。耳目を集めている本、1人では読み切ることが難しそうな本、参加者のおすすめの本...etc. どんな本でもいい。みんなで読む本を1つ決めておいたうえで、毎回、区切りのいい区間を各自で読んでくる。読書会という場では、指定区間の内容を簡単におさらいしたうえで、感想、疑問点、論点などを共有し合う。大学のゼミの「輪読」に似ている。
ただし、このやり方。既に本に親しんでいる人たちに最適化されたやり方なのではないかと思う。読書に馴染みのない人にとってはしんどいかもしれない。しんどい理由はいくつかある。
第1に、あたり前といえばあたり前だが、読んでこなくてはならないことである。
通常、読書は自宅か、通勤・通学途中の「すきま時間」におこなうものだろう。しかし、自宅や「すきま時間」に読書しようと思っても、さまざまな「誘惑」がある。職場でやり残した仕事(とくにちょっとした「雑務」は持って帰ってしまいがち)。家事・育児。SNSもチェックしなくてはならない。読書に馴染みのない人にとって、「各自で読んでくること」は、読書人が想像する以上に敷居の高いことなのである。
第2に、本を買わなくてはならないこと。
読書会(「会」のところ強調!)というからには、参加者が複数人存在する。もちろん読書会というものは、すくなくとも当初は、興味関心領域の比較的近い人たち同士で結成するものである。おそらく「まずはこの本を読みましょう」とアナウンスしてから、「この指とまれ」方式でメンバーを集めることが多いのではないだろうか。したがって、最初のうちは「課題図書」の選定に対する不満は顕在化してこないのではないかと思う。ところが、続けていくうちに「今度はこれを読みましょう」ということになった本が、自分の興味関心とはビミョーにズレるということもちょくちょく生じるようになってくるだろう。なのに買わなくてはならない。
ついでに言えば、読書に馴染みのない人たちにとって、本は「高い」。何でもいいのだけれども、たとえばジョン・アーリの『モビリティーズ:移動の社会学』(作品社、2015年)を読みましょう*1、ということになったとする。難解そうな本である。まさにこういう本こそ、読書会形式で読み進め、疑問点や論点を共有したいところである。しかし、難解な本ほどお値段は「高い」。難解だから価値があるという意味ではない。難解だからこそ、ベストセラー的な本よりも需要が少なく、生産ロットを小さく抑えざるをえない。だから「高い」のである。ちなみに3800円である。興味関心のど真ん中であれば、この3800円は惜しくない(はず?)。けれども、興味関心のど真ん中から少しずれている場合、この3800円を負担に感じる人も多いだろう。
ちなみに、大学のゼミの場合、ゼミの受講者にコピーを配布することが、著作権法上いちおうは認められている。
学校その他の教育機関(営利を目的として設置されているものを除く。)において教育を担任する者及び授業を受ける者は、その授業の過程における利用に供することを目的とする場合には、その必要と認められる限度において、公表された著作物を複製し、若しくは公衆送信(自動公衆送信の場合にあつては、送信可能化を含む。以下この条において同じ。)を行い、又は公表された著作物であつて公衆送信されるものを受信装置を用いて公に伝達することができる。
(著作権法第35条)
だから「お金のない」受講生にコピーを配ってあげることができる。
しかし、読書会に集まるのは多くの場合、社会人である。たしかに多くの社会人は給料がなかなか上がらずに苦しい思いをしている。けれども学生と同じ意味において「お金がない」わけではない。また、それ以前に、読書会は「学校その他の教育機関」とは認められない。したがって、読書会の参加者に「課題図書」のコピーを配布することはできない。著作権法上「アウト」である。
以上のような理由もあって、「各自で読み進めてきた課題図書」の内容について議論する形式の読書会は、とくに読書に馴染みのない人にとっては多分に「敷居の高い」ものなのではないかと思う。
この際、本の内容に関しての「議論」はほどほどにしておいて、「読むこと」それ自体を楽しめるような、そんな仕掛けが求められているようにも思うわけである。かならずしも「みんなで同じ本を読む」必要はないのではないか? むしろ、各自、読みたい本を読みつつ、そうはいっても一定以上の時間は集中して読書に勤しみ、満足感(自己満足感で可)もあり、継続しやすいやり方はないものか?
お茶席にお呼ばれした時のことを思い出してみる
で、10年以上前に、ご縁あってお茶席にお呼ばれした時のことを思い出してみた。流派にもよるかもしれないが(ちなみに裏千家の家元先生のお宅でした)、部屋に入る時は右足から…とか、畳の縁は踏まない…とか、まず床の間の飾りつけを拝見する、次に釜を拝見する…とか、お茶の世界には数えあげればキリがないほどさまざまな「お作法」がある。
もてなす側と正客さんとのやりとりも新鮮だった。正客さんは、この掛け軸は誰の作ですか?とか、お花は? 花入れは?とか、茶器やナツメにいたるまで、ちゃんと聞くんですね。おもてなし側は「一期一会」のために、床の間の掛け軸や花から、茶道具に至るまで、心を込めてチョイスしている。チョイスの主旨についてちゃんと質問する、というのが礼儀なんですね。
そういうわけで、茶道はトライしてみたい習い事の1つである。単にお茶を飲めばよいのではない。所作の1つ1つに意味がある。場数を踏んでいくと、そうした所作が身についていく。ただし、そうした所作を身につけるのも、結局はおいしいお茶を飲むためなのである。なんて素敵な「道」なんでしょう。
映画『たんぽぽ』の冒頭についても思い出してみる
もう1つ思い出すことがある。伊丹十三監督の名作映画『たんぽぽ』冒頭に登場する蘊蓄じいさん。「ラーメンの食べ方」として、一部の界隈では有名すぎるほど有名なあのシーンである。
この蘊蓄じいさん。まず、箸で麺を愛でるように撫でろ、とか、チャーシューをドンブリの端っこに移動させて、心の中で「あ・と・で・ね」と声をかけろ、とか、本当にうるさい。けど、なぁんか面白いんですよね。
「読書」にもこういう「お作法」的なものをつくれば…というかでっちあげれば、そこそこ面白くなるのではないか。そんなことを考えて、①から⑦までの「お作法のたたき台」的なものをツイートした次第である(先述)。
読書愛好家や書店関係者の話も聞いてみたい
とはいえ、この際だから「正式なたたき台」(「たたき台」に「正式」もクソもあるのかわからないが…)をつくるまでのプロセスも楽しんでしまった方がいいように思う。自分でいきなり「たたき台」をつくってしまうのではなく、読書愛好家や書店関係者の「本の読み方」、さらには「本の愛で方」についてもお話しをお聞きしてみたい。お聞きしたお話しをインタビュー動画の形式でYouTubeに公開し、それなりに論点が蓄積してきたところで、いよいよ「正式なたたき台」をつくるのがよいと思う。
考えてもみれば、松山の書店のお知り合いたち…、たとえば本の轍さんは、三帆堂の竹内さんは、普段どんなふうに読書しているのだろうか?東温の「駅と珈琲」の藤岡さんにも普段からお世話になっているぞ。「いよ本プロジェクト」の岡田有利子さんは*2? 御槇の福田百貨店の黒田さんや、西予のlokki coffeeさんも、本が好きそう。また大学の同僚に聞いてみるのもおもしろそうである。県外に目をやれば、高松のなタ書の藤井さんはどうか? 先日お邪魔したまるとしかくさんは? 読書のスタイルは各者各様。さまざまなスタイルがありそうなんである。
ところで、何を隠そう僕も、学生時代に、松岡正剛さんの「千夜千冊」をちょくちょく読ませてもらっていたクチである。もちろん、本の内容に対する松岡さんの解説・批評がお目当てではあった。ただ、もっと強烈に印象に残っていることがある。具体的に第何夜のことだったか思い出せないけれども、松岡さんによる本への書き込みのスキャン画像がアップされていたのである。鍵概念を丸で囲み、ある丸から次の丸へと何行かの文章を跨ぐ形で矢印が引かれていたと記憶している。「書き込みする派」オンリーになるが、他人が本にどのようなスタイルで書き込みをしているのか? 個人的にはすごく興味がある。
また、本への書き込みよりもノートテイキングの方に力を入れている読書人もおられることと思う。ノートのとり方も「読書道」にぜひ取り込みたい要素の1つである。
ちなみに、社会学者の富永京子さんは、読書会やゼミの輪読で自分がとったノートの画像をTwitter(X)上にちょくちょくアップしている。これも、すごくおもしろい。
スカイプ読書会📚
— TOMINAGA, Kyoko (@nomikaishiyouze) 2023年9月6日
8/23から9/6までは『首都の議会』『金融市場の社会学』『言論と経営』を読みました。いずれも専門でなくても読み物として面白い本です〜。
9/13 演劇の公共圏
9/20 客観性の落とし穴
9/27 教養・読書・図書館(著者と読む回) pic.twitter.com/N5MLvUjxDg
当面の目標
そんなわけで、「読書道」を本当に立ち上げるとしたら、いろいろな人の読書のスタイルについて、まずは話を聞いてみるところから初めてみると面白そうだし、賛同者も増えそうな気がしている。誰か一緒にやりませんか?
聞いた話を参考にしながら「正式なたたき台」をつくってみる。「ラーメンの食べ方」でいうところの、「チャーシューをドンブリの端に移動させて、箸でおさえてスープに浸らせる」に該当するような、細かおもしろい「お作法」をでっちあげたいところである。誰か一緒にやりませんか?
その点、
③手にとって装丁を愛でる。
④パラパラして本の匂いを嗅ぐ。
…は、われながらまあまあいい線いってるのではないか。誰か一緒にさらなるアップデート作業をやりませんか?
*2:岡田さんは今治のコミュニティFMで僕が担当している番組にゲストとしてお呼びしたことがあります。よかったら聴いてみてください。お結びころりん(2022年6月1日放送分) - YouTube
松丸大作戦レポ(的なもの)
9月1日と2日の2日間、「楽しい!かわいい!をつくる松丸大作戦」に参加してきた(3日目のワークショップには「家庭の事情」で参加できず…)。どういう趣旨のイベントかどうかについては、前回のエントリーもご参照ください。
nyamaguchi.hatenablog.jp
9月1日(金)18:00~20:00は、市原正人さんと藤田まやさんの講演。円頓寺のまちづくりについて、ナゴノダナバンク(ナゴバン)設立の経緯から、近年のリノベーション事例にいたるまで、じっくりと解説いただき、なおかつ、お2人のかけ合いが漫才のようでおもしろかった。市原さんがナゴバンの「実績」を紹介しつつ、藤田さんが「裏話」を補足し、市原さんの「権威」性を少し削ってバランスをとっていくイメージ*1。どこまで狙ってやっているのかはわからないが、この進め方で市原さんや藤田さんと参加者の距離がぐっと縮まり、すごく効果的だと思った。
この日は松野泊。僕は吉野生の正木酒店が経営している香霞楼という民泊に泊まらせていただいた。
正確に記憶していないが、築年数160年とおっしゃっていたか、180年とおっしゃっていたか…、それくらい古い古民家を活用した民泊。建てられたのは安政の頃とのこと。佐賀の乱に敗れたあとの江藤新平が高知に逃れる際、ここに泊まったものの、追手が迫り、やむなく塀を乗り越えて逃げたんだとか。
2日目、9月2日(土)の集合時刻は13:00からである。少し時間があるので西土佐(四万十市西土佐地区)~四万十町方面にも足を延ばしてみることに。まずは、「定点観測」的な意味も込めて、西土佐の「よって西土佐」と十川の手前にある「道の駅四万十とおわ」へ(「よって西土佐」の写真は撮り忘れた…)。
「道の駅四万十とおわ」といえば、立ち上げより長年にわたって管理を任されてきた四万十ドラマが2017年度末に指定管理業務から外れることになり、全国の地域づくり関係者をざわつかせたこともまだなお記憶に新しい*2。その後、2018年度から2020年度まで株式会社四万十とおわという会社が、2021年度からは株式会社とおわという会社が指定管理業務を担当。現在の株式会社とおわの代表は、四万十ドラマで経験を積んだ方らしく、機会があればお話しをお聞きしてみたいところである。実のところ「騒動」が起こってから「道の駅四万十とおわ」を訪問するのは初めてだった。
その帰りに半家(はげ)の沈下橋を見学。一雨去った直後だと本当に「沈下」していて危険だが、そこから少しだけ水位が下がったくらいの、見学にはちょうどいいあんばいの沈下橋を見学することができた。
13:00からの「松丸大作戦」2日目。1日目は「講演会」の色彩が濃かったけれども、2日目に至って、いよいよ実地のフィールドワークとワークショップがスタート。首から名札をぶら下げつつ、参加者同士の自己紹介。そのあとフィールドに繰り出し、こういった機会でないと中を見せてもらいにくい物件を内見させていただきつつ、松丸地区の旧街道を散策した。
松丸地区はポテンシャルのある物件ばかり。何件かの物件は内部も見せてもらうことができた。が、物件内部はいちおうはプライベート空間。ブログに掲載してしまうのは自粛しておこうと思う。
思ったことを1つだけ。松丸は「Rの残るまち」だと思う。美容室の窓枠、内見した物件の床の間、飾り窓、いたるところに曲線美が。こういうのって職人さんの「ひと手間」なんですよね。「標準化」された建材を用いる現代の大手メーカー製の住宅には、こういうものの入り込む余地がほとんどない。「Rが残っている」のは、地元の工務店や大工さん、さらには左官やさんが、遊び心を発揮しながら仕事をしていた時代の建物を大事に残してきたからなのである。こういうものを残していくことができれば、もう5~10年後の松丸は1周回って「訪れたいまち」のトップに躍り出るかもしれない。
ちなみに、この日はちょうど予土線駅前マルシェというイベントの開催日。酒蔵(正木正光酒造)から松丸駅へと下っていく通りに、出店が立ち並んでいた。
役場に戻ってから、ワークショップらしい取り組みを少々。まず、松丸のポテンシャルと課題について自由に意見を出し合った。
この手のワークショップにはやはり多様な立場の参加者が集うべきだろう。月並みな感想ではあるが、自分1人では思いつかない論点が目白押しでおもしろかったし、何より勉強になった。
次いで、この日見た物件を活用しつつ、つくれそうなもの、つくってみたいものをアイデア出し。
こういう夢あふれる妄想を語っている時が一番楽しい。ここで終わりになってもいけないのだけれども、この楽しい瞬間もやはり大事にしたいところである。
正確な記憶ではないけれども、市原さんのコメントの中で印象的だったのが「どれもその気になったら実現しそうですね」。このタイミングでのこのセリフ、うまい! 「商店街オープン」の序盤でも、おそらくは毎回こういうことを言ってるんじゃないだろうか。
でもハッタリでも何でもなく、たしかにそうなんですよね。関係者の理解が得られて、継続的に関わる人さえ出てきてくれれば、あとはなんとでもなるアイデアばっかり。
3日目のワークショップには「家庭の事情」で出席できなかった。どんな議論になっただろうか? 途中まで関わると続きの議論が気になってしまう。次の回(17日)。参加できるよう調整してみたいと思う。
「楽しい!かわいい!をつくる松丸大作戦」がすごい!
9月1日から10月1日にかけて、「楽しい!かわいい!をつくる松丸大作戦」なるセミナーが松野町で開催されるとのこと。私も研究室の有志学生と一緒に参加してみるつもりである。
聞くところによると、松野町中心部の歴史的建築物を「教材」にして、利活用案をグループで検討し、専門家からアドバイスも受けながらブラッシュアップしていく、という趣旨のセミナーになるようである。
ちなみに、「参加費500円」は1回あたりの金額ではない。全6回分の金額になるとのこと。したがって、3回参加しようとも、5回参加しようとも、全6回参加しようとも、かかる金額は500円ぽっきりである。念のため。
ところで、このワークショップイベント。控えめにいってすごいと思う。以下、どこがすごいのかを語ってみたい。が、要点だけは先にまとめておく。
- セミナーを運営するナゴノダナバンクは、商店街活性化および有休不動産の利活用の世界では、日本で最も注目を集めるまちづくりグループ
- そのナゴノダナバンクが、スキームを「歴史的建造物」に「転用」するチャレンジングな企画
- 有休不動産物件の利活用案を参加者自らが実際に考え、ナゴノダナバンクの方々は専門家としてのアドバイスで応じる。参加者は時間をかけてブラッシュアップを繰り返す。そんなセミナーの受講料はたったの500円!
- ナゴノダナバンクの市原正人さんや藤田まやさんと「お友達」になれるだけでも価値のあるセミナー
- 南予地方で遊休不動産を活用した店舗の新規開業を考えている人は、日程の都合がつくのであれば絶対に参加した方がよい。「松野町内での起業を考えている」必要はかならずしもない。
ナゴノダナバンクとは何者か?
このセミナーの主催者は松野町ということになっているが、「企画・運営」を担当するのは株式会社ナゴノダナバンクとある。このナゴノダナバンクとは何者だろうか? 商店街活性化やリノベーションまちづくりに興味のある方は別として、いたってフツーの愛媛県民の中でピンとくる人はむしろ少数派だろう。
結論から言うと、こと「商店街活性化」という分野においては、いま日本で最も注目されているまちづくりグループの1つである。
ナゴノダナバンクは、衰退の危機に瀕していた名古屋の円頓寺商店街を「復活」させた立役者でもあり、近年は「商店街オープン」というスキームの普及・啓発にも力を入れている。
円頓寺商店街の「復活」
円頓寺商店街の立地は、名古屋の中心駅の1つである名古屋駅*1からせいぜい1.5km程度、直線距離なら約1kmほどのところにある。元々は城下町・名古屋の商業地区として栄えたまちである。
しかし、昭和末期から平成にかけての円頓寺商店街はふるわなかった。交通体系に変化が生じたことにより*2、外部の人間からすれば「行きにくいまち」になってしまった。かといって、若い新規の住民が移り住んでくるようなまちかというとそういうこともなく、古くからの住人以外は寄り付かないまちになっていた。
後継者がなく閉じる店舗が年を追うにつれ増えた。昭和には五〇店舗以上あった円頓寺商店街の店は平成に入ってしばらくすると二三店舗にまで減ってしまっていた。円頓寺商店街の長さは二〇〇メートルほどだから、そこに片側一二店舗ほどしか開いていなければ、商店街としての機能も見た目も深刻な事態だっただろう。*3
2000年代後半から2010年代前半にかけての時期に、この円頓寺商店街の空き不動産物件をうまくリノベーションし、魅力的な店舗の誘致に注力するまちづくりグループの活動が活発化した。当初、「那古衆」(那古野下町衆)というボランティアグループの中の「空き店舗対策チーム」がそうした活動を担い、その後、このチームを母体にして2009年に「ナゴノダナバンク」という組織が結成された。現・ナゴノダナバンクの市原正人さんと藤田まやさんは、那古衆「空き店舗対策チーム」時代から円頓寺のまちづくりに携わってきたキーパーソンである。
さて、このナゴノダナバンクはどのようなことをやってきたのか。端的にいえば、空き不動産物件の持ち主と借り手を結びつける活動に注力してきたといってよい。とはいえ、この説明だけだと、全国津々浦々で試行されている「空き家バンク」と何が違うのか?という話になりそうである。私見になるが、ナゴノダナバンクの取り組みの画期性は、メンバーの中に建築家(市原正人さん、斎藤正吉さん)が含まれるため、単なるマッチング事業(空き家バンク)よりも踏み込んだ形で、利活用方法を提案できるところにある。
象徴的な例を1つご紹介したい。以下の写真の喫茶店兼雑貨店。元々は焼き鳥屋だった。お客さんは入口から入り、左に90度転回する形でカウンター席に腰かける。カウンターの内側に厨房があり、壁面は食器棚になっている。実を言えば、壁の向こう側には、植栽付きのロータリーがある。市原さんたちは、店舗の中からそれが見えるといっそう素敵な店になるのではないかと考えた。
市原さんたちは、壁に穴を開けて窓をつくり、焼き鳥屋時代のカウンターは撤去。ロータリーを借景にしながらくつろぐことのできる客席空間をつくりあげた。テナントリーシングにも余念がなく、かねてよりお店をやりたがっていたお知り合いを誘致。金・土・日曜日だけ営業する、ワッフルが売りの喫茶店兼雑貨店がオープンすることになった。
できるだけ「素敵な」店を誘致することが、まちの魅力を向上させていくうえの基本戦略になる。建築物そのものに手を加えることができれば、あるいは手を加えることができるだけの知識・スキルがあれば、平均的なマッチング事業のもう一歩先まで「踏み込む」ことができるのである。まちづくりチームに建築家が参加することの「強み」はこういうところにある。
もう1つ、象徴的なエピソードを。それは円頓寺商店街のアーケードである。
オーソドックスな商店街のアーケードは、もっと重厚なつくりをしている。アーケード専門の建築業者も存在するくらいである。しかし、円頓寺商店街では、建築家である市原さんたちが関わることで設計費用を抑え、使える補助金は使い、屋根の上には太陽光パネルを載せ、アーケードを架け替えた。完成は2015年。
オーソドックスな商店街のアーケードは、内部を歩くと、日中であれば薄暗く感じることもしばしばである。しかし、円頓寺商店街のアーケードは、屋根がアクリル板になっているため、下を歩く者に薄暗さを感じさせない。さすがに施工は業者にお任せしたものと思うが、「手づくり」に近い形で架け替えたアーケードといえる。日本の商店街でこれができるところはそうそうない。
他にも、サブリース(転貸)の方法論、物件持ち主への寄り添い方など、市原さんたちの蓄積したノウハウは多彩かつ豊富。すべてを余すことなく紹介するだけの紙幅はないため、ご興味のある方はぜひ、山口あゆみさんの以下の著書をご覧いただきたい。
小括。ナゴノダナバンクは、建築・設計の知識とスキルを持つがゆえに、一歩踏み込んだレベルで空き不動産のマッチングに取り組むことができる。どれくらいすごいかというと、(施主は円頓寺商店街振興組合になるものの)「アーケードのデザインを自分たちで考えることができる」ほど。
「商店街オープン」とは何か?
ところで、ナゴノダナバンクの方々は、近年、新しい取り組みにも力を入れている。その1つが「商店街オープン」(ナゴヤ商店街オープン)である。円頓寺で培ったスキル・ノウハウも活用しつつ、名古屋市内に魅力的なまちを増やしていくための取り組みと考えてよい。
NAGOYA SHOTENGAI OPEN丨ナゴヤ商店街オープン
私なりの解釈を加えると、この取り組みは、概ね次のようなプロセスで進められる。
- ポテンシャルのある空き不動産のある商店街を選定
- その商店街の中で活用策を検討したい空き不動産物件を選定
- セミナー(ワークショップ)の参加者を募集(商店街のお膝元の住民でもいいし、外部からの参加者でもかまわない)
- 参加者に活用案を考えてもらう
- 活用案にナゴノダナバンクのメンバーをはじめとする専門家たちがアドバイス
- 参加者たちは自らのアイデアをいっそうブラッシュアップ
- 最終報告会を開催
- 実際に新規開業する参加者が出現すれば全力で支援
また、ナゴノダナバンクの市原さんと藤田さんは、松山商工会議所が昨年12月に企画した勉強会に講師としてご参加されている。この勉強会のメインテーマもほかならぬ「商店街オープン」であった。ネット上でログも参照できる。ご興味のある方はご覧いただきたい。
令和4年度人材育成事業研修会|松山商店街通信てくてく|MSP 松山商店街プロジェクト|愛媛県松山市
まとめると、「商店街オープン」とは、空き不動産物件で「何かをやってみたい」人向けのセミナーである。参加者の考えたアイデアに、講師役の専門家が惜しみないアドバイスで応じる。アドバイザーである専門家たちは、店舗経営のスキル・ノウハウ、建築・設計のスキル・ノウハウを持っている。また、そうした専門家と「お友達」になれるところも、この企画の魅力といえる(複数回、真面目に取り組んだ「筋のいい人」限定になるとは思いますが…)。
成果も出ているようである。既に「商店街オープン」を実施したことのある商店街ないしエリアは9つほどで*4、「喫茶モーニング」(駅西銀座通り商店街)、「かさでらのまち食堂」(笠寺観音商店街)、「シバテーブル」(柴田商店街)、「みんなで駄菓子屋」(新大門商店街)など、実際の開業事例も蓄積されつつある。
ちなみに、ナゴノダナバンクの方々が、「商店街オープン」と併行して進めてきた「machico」(まちコーディネーター養成講座)は、名古屋以外の他都市に「輸出」される状況になってきた。「商店街オープン」のスキームも、これから他のまちに拡がっていくのではないかと思う*5。
なぜ松野町なのか?
では、そのナゴノダナバンクの方々が、なぜ松野町でセミナーを開催するのか? 端的に言えば、市原さんたちが松野町を気に入った。これが大きい。
市原さんが松野町を初訪問したのは、2021年度末。文化的景観絡みの調査で、文化庁側の委員として松野町入りされた。その時に、松野町のポテンシャルを実感したとお聞きしている。市原さんは、円頓寺商店街の活性化のみならず、常滑方面の古民家再生にも携わっている。だから「商店街」のみならず、古民家、歴史的建造物なども守備範囲に収まるのである。松野からの帰り道で、私の住む松山にも立ち寄り、道中で観た茅葺き屋根の古民家の魅力について熱く語っておられたのを、覚えている。
…と同時に、「商店街オープン」のスキームを、歴史的建造物や文化財に「転用」してみるアイデアも、この頃、既に温めておられたのではないかと、私は推測する。そして、市原さんたちの着想は、町内に点在する歴史的建造物ないし不動産物件の活用方法について頭を悩ませてきた松野町(教育課?)の思惑とも一致し、今回の企画(松丸大作戦)に結実したのではないか。
開催場所までのアクセス、開催回数の多さなどを考えると、広域から集客するのはなかなか難しいかもしれない。けれども、「学ぶべき人」に情報が届き、愛媛のまちづくり人材の裾野が広がると、私としても嬉しい。それで、少しでも「援護射撃」になれば、と思い、この記事を書いている。
市原さんや藤田さんと「お友達」になれるだけでも価値がある?
今回のセミナー。ナゴノダナバンクの市原正人さんと藤田まやさんが松野にお見えになる、とお聞きしている。ウェブサイトのメンバー紹介ページを改めてご覧いただきたい。
このエントリーでも再三にわたってご紹介した市原正人さんは一級建築士。建築家としてのスキルをプロボノ的に活用して、円頓寺商店街を「復活」に導いた立役者の1人である。
もう1人、講師としてお越しになるであろう藤田まやさんは、市原さんと一緒にナゴノダナバンクの代表取締役を務めている。円頓寺商店街の老舗化粧品店「化粧品のフジタ」の娘さんでもある。円頓寺界隈との地縁を活かして、商店街関係者や地域住民との調整役としても活躍。円頓寺商店街が生んだ「まちコーディネーター」である。
今回のセミナー(松丸大作戦)。松野町で何かをし始める気などなくても、十分にメリットのある企画である。市原さん、藤田さんとお知り合いになれるのだから。
もっとも、市原さんや藤田さんは、おそらく全国各地で様々な立場の人と名刺交換している。たぶん一度会ったくらいでは覚えてもらえない。しかし、今回のセミナーに参加して、真摯に取り組み、爪痕を残して帰れば、さすがに市原さんと藤田さんの記憶に残る。「あぁ、松野のセミナーで頑張ってくれた〇〇さんですね」と。
折に触れ助言をいただけるような「お友達」になれたなら、それこそ一生もののソーシャルキャピタルといえるだろう。今回のセミナーにはそうした価値もあるように思われる。
どんな人におすすめか?
最後に、私がこのセミナーを人におすすめするとしたらどんな人におすすめするか? 補足しておきます。
南予地域で店舗の新規開業を考えている社会人
最もおすすめしたいのが、この属性の方々。
商店街活性化ないし有休不動産の利活用に関していえば日本でトップクラスの講師陣にたった500円でレクチャーしてもらえます。松野町で起業するつもりがなくても構いません(もちろんあっても構いません)。松野町に実在する物件を「教材」にして、利活用案を考えてみることに意味があります。あわよくば、物件の賃貸借、あるいは取得などに関する悩み事・心配事にも相談にのってもらえるかもしれません。そうした経験の積み重ねが、実際の起業に際してかならずや活きます。
歴史的建築物が解体されると心が痛い人
この属性の方々にも超おすすめです。先述したように、市原さんたちは、商店街の活性化のみならず、古建築保存の分野での実績を上げてきました。市原さんたちならさまざまなスキームをご存知です。
そして、この手の話は、現実の物件を「教材」にして学んでいくべきだと思います。「この物件を、このような形で利活用しようと考える場合、お金は足りるか? 制度の壁はあるか?」。そういう方面のアドバイスは、専門家である市原さんたちがきっとくださるでしょう。また、自分の地元の物件の保存方法について、「お悩み」があるなら、ぜひ市原さんたちに相談してみてください。その場で答えられることなら、きっと答えてもらえると思います。
愛媛の地方銀行の行員さん
案外、こういう属性の方々にとっても大いに意味のあるセミナーではないかと思います。店舗を新規開業しようとするクライアントがどんなプロセスを踏んでお店をつくっていくのか?本当の意味での「バンカー」になりたければ、そうしたプロセスについて肌感覚をもって理解しておく必要があると思います。
松野町・鬼北町在住の高校生
このセミナーは、やるからには3~4回以上は出席したいところ。「足」を持たない学生さんの場合、松野町や鬼北町あたりが「生活圏」になるようでないと、なかなか参加しにくいのではないかと思う。そうなると、松野町内ないし鬼北町内から、北宇和高校ないしは宇和島市内の高校に通学していて、あわよくば予土線の定期券を持っており、なおかつまちづくり・地域づくりに興味があるような、そんな学生さんの参加に期待したいですね。
そんな学生さんがもしおられるなら、絶対に参加してください! 商店街活性化や有休不動産利活用の分野なら、いま日本で最もアツいまちづくりグループのキーパーソンが近くまでいらっしゃるわけですから!
松野町・鬼北町近辺がご実家の大学生
松山市内の大学に通う大学生のうち、ご実家が松野町・鬼北町近辺の方で、なおかつまちづくり・地域づくりに興味のある学生さんがいるとありがたいですね。継続的に参加するためには「足の問題」が解決する必要があるので、「帰省中に通うことができる」という属性を想定してみました。
(とはいえ、滑床渓谷のキャニオニングで「季節労働者」をやりつつ、このセミナーにも通う、という方法もありでしょう。そうなると、実家が近隣にある必要はかならずしもなく、9月中の都合がつきさえすれば県内外どこからでもウェルカム、ということになります)
このセミナーに参加するということは、端的に言って、日本を代表するまちづくりグループ=ナゴノダナバンクのインターンに参加したようなものだと思います。オーソドックスな企業さんのパッケージ化されたインターンとは比べるべくもなく、エキサイティングな経験になるでしょう。よろしくご検討ください。
*1:1番の中心は栄でしょう。
*2:1974(昭和49)年の路面電車全廃、1976(昭和51)年の堀川駅廃止など。山口あゆみ(2018)『名古屋円頓寺商店街の奇跡』講談社(講談社+α新書), p.30.
*3:山口あゆみ(2018)『名古屋円頓寺商店街の奇跡』講談社(講談社+α新書), p.34.
*4:代表例は、西山商店街、駅西銀座通り商店街、笠寺観音商店街、堀田本町商店街、柴田商店街、新大門商店街など。
*5:どちらかといえば私は、商店街活性化のための取り組みが「モデル事業」化されて「横展開」され始めるとロクなことがないと思う側の人間である。ただし、かつて「商店街活性化三種の神器」と呼ばれることもあった100円商店街、バル、街ゼミと違って、「商店街オープン」は「そのまちが直面している環境条件のことも勘案しながら、じっくり考える」ことに重きを置いており、それゆえ「表面だけをマネる」事例が生み出されるリスクは相対的に小さい。あまりにも急速に「横展開」すると、講師役の人材が足りなくなり、アドバイスのクオリティを担保できなくなる可能性はあると思うが、まだその心配をするフェーズではないようにも思う。
ブログ再開(なるか?)
気がつけば3年近く、ブログを放置してしまった。
放置すればするほど、「再開」する際には気合いの入った更新を用意したいと思う一方、そういう発想自体が「再開」のハードルを上げてしまう側面もある。経験則からいえば、気軽な更新から「再開」につなげていく方が、いいような気がしている。
そういうわけで、お盆休みは妻の実家に「帰省」(?)している。「家の近くに本屋さんができたらしい」ということで、行ってみることに。8月14日の話。
この本屋さん、名前を「まるとしかく」という。行ってみると、本当に妻実家から散歩がてら訪問するのにちょうどよさそうな距離感のところに立地していてびっくり。Google Street View にも補足されていない農道がアプローチ代わり。いい感じである。
到着時にちょうど雨が降ってきたので写真は撮らなかったが、ここいらに残存している建物の中でも「別格」と一目でわかるレベルの古民家。母屋をお宿に、蔵(農機具小屋?)を本屋さんに改装しているようである。
ありがたいことに、入店するやいなや1歳11ヶ月の娘がおネムに。他にお客さんがいなかったこともあって、店内で寝かせてもらえることに。
「まるとしかく」さんの立地上のポイントは、脇町の Old Central ではなく、河岸段丘の上にお店(&お宿)を構えていること。「脇町」と聞けば、多くの人は「うだつの町並み」(≒ここで言う Old Central)を思い浮かべる。実際、うだつの町並みの中に、ゲストハウスも、喫茶店も、レストランも、シェアショップもある(ついでに言うとシェアショップの中には本屋さんもある)。観光客もひとまずこのエリアをめざしてやってくる。集客面だけを考えるならば、Old Central に店を構える方が楽だったのではないかと思う。
しかし、「開発圧力」の緩やかな段丘上でなければ、これほどまで素敵な物件は見つからなかっただろう。聞けば宿屋になっている母屋の築年数は100年超えとのこと。しかも、妻の実家が近くにあるからよくわかるのだけれども、段丘の上は夏場でも風が抜けて涼しい。むしろ諸々の「条件に恵まれている」本屋兼宿屋とすらいえる。
娘が寝ている隙に、店主さんと諸々情報交換。岸政彦、なタ書のキキさん、淵野辺、共通の知り合いであるTさんのこと...etc. ラリーが続く続く! とはいえ、あんまり書きすぎると「個人情報」の域に達し始めるので割愛。
本屋さんでは、「店の品揃え形成がなければ出会わなかったであろう本」、あるいは「出会うまでに相当の時間を要したであろう本」があれば、なるべく買うようにしている。
今回は、
の2冊を購入。2冊とも、台風が通り過ぎていくのを待ちながら、サクサクっと読み終えることのできる分量でちょうどよかった。
五十嵐(2022)は、日本において、「排除アート」ないし「排除ベンチ」とよばれるものがどのような経緯で生み出されたのか、また、マイナーチェンジを繰り返しながら生産され続けている文脈はどのようなものなのか、といったことについて、基本論点を整理してくれている。事例も豊富。「排除ベンチ」のデザインは、「排除」していることすら意識させないレベルにまで「巧妙化」しており、読み進めるにつれてますますやるせない気持ちに…
2冊目はまるとしかくさんにおすすめしてもらった1冊で、坂田美優さんという神戸の学生さんが、岩手の大船渡は越喜来(おきらい)というところにある「ハウルの船」に2ヶ月ほど滞在した経験をつづったもの。
正直言えば、おすすめしてもらう前から僕の心はわしづかみにされていた。大船渡は、昨年秋に、東北食べる通信の編集長さんにお会いすべく、学生たちと繰り出した旅の目的地の1つ。越喜来は直接の目的地でなかったとはいえ、宿泊地ではあった。土地勘のある場所のことをつづられると、ついつい読みたくなる。そこにダメ押しのように、まるとしかくさんが「とにかくすばらしいんですよ」とおすすめしてくれるものだから、買わないという選択肢はなくなってしまった。
「ハウルの船」とは、吉浜湾と越喜来湾の間の半島(越喜来半島というらしい)にあるコテージのことらしい。元々、作家のアトリエ兼住居として建てられたものだが、紆余曲折あって「わいちさん」という人物の持ち物件になっている。著者の坂田さんは、縁あってそこに2ヶ月ほど滞在することになった。滞在時に考えたこと、感じたことなどを、できる限り素直に、そしておそらくは少しばかりの「背伸び」的要素も込めながらつづったのが本書ということになるだろう。
自分の進路に対して、とくに「自立」(自分の力で生きていくこと)に対して、随所に葛藤のようなものが表現されている。自分が二十歳そこそこだった頃のことをついつい思い出す。
本書全体が「自分の文体を確立していくプロセス」になっている(ように思う)。文体が「安定」してくる終盤、語り口に重みが増し、頼もしく思う。ちなみに、これは小山田咲子さんの『えいやっ!と飛び出すあの一瞬を愛してる』を読み進めながら抱いた感覚と一緒*1。
そこに、みずみずしいタッチで表現された生活体験(薪ストーブ、鹿の止どめ刺し、甲子柿...etc.)が加わる。いちいち美しくてため息が出る。
たしかにまるとしかくさんの言う通りだった。「すばらしい」と言うよりほかなかった。
かえって小売店舗に人が集まっていないか?
新型コロナ禍はまだまだ続きそうである。
例の緊急事態宣言以降、飲食店を通常営業することに対して、世論の風当たりが強くなってきた。知り合いの飲食店の多くも、テイクアウトに切り替えるか、いっそのこと「しばらくお休みします」ということにしてしまった。
また、行き着けにしていた居酒屋にいたっては、「新コロ騒ぎがいつまで続くかわからない中で休業するくらいだったら、いっそのこと店を畳んでしまって、ほとぼりが冷めてから改めて新規出店し直す。家賃がもったいない」と言い始めた*1。
ところで、ちゃんとデータを見たわけではないが、スーパー、ドラッグストア、100円均一などのような、巣ごもり消費のための必要物資を販売する小売店には、平時以上に消費者が集まっているようにも見受けられる。東京では、小売店に行列ができることも珍しくないらしい。ここ愛媛でも、行列ができているとまでは言えないかもしれないが、行き着けのスーパーにはやっぱりまあまあ人がいる。飲食店が軒並み休業してしまっていることも、無関係ではないと思う。
そこでこんなことを考えた。まあまあ人がいるスーパーに買い物に行く際の新型コロナ感染リスクと、ガラガラで閑古鳥が鳴いていてほぼ貸切状態の飲食店での感染リスクは、どちらが高いのか? ひょっとすると前者の方が高いのではないかな、とも思うわけである。
この点に関して、諸々ツッコミどころはあるとは思うけれども、ちょっとした模式図をつくってみた。
1枚目の図は、小規模の飲食店が適度に分散的に立地していて、住民(消費者)はそれらの飲食店を食堂代わりに使っている地区をイメージしている。ちなみに点線の矢印は、「商品の流れ」ではなく、「買い物出向」を表している。
上の図の想定だと、食材の買い出しは、少数の飲食店主によって担われることになる。飲食店主は、食材を、取引先の卸売業者から仕入れたり、あるいは近所のスーパー(小売店)で仕入れたりしている。やや非現実的な想定かもしれないが、この地区には、スーパーが1店舗しかないことにしよう。この図の場合、飲食店主たちが、あたかも消費者の代表を演じるかのように、小売店舗(スーパー)で食材を仕入れていることになる。消費者全員が小売店(スーパー)に押し寄せるよりも、小売店(スーパー)の混雑具合はマシなものになるはずである。
ところが、飲食店がなくなってしまうと、消費者は、自ら小売店舗(スーパー)に食材を購入しに行かなくてはならなくなる。そこで、すべての飲食店が休業ないし閉業した場合を想定して、2枚目の図をつくってみた。
地区に1店舗だけあるスーパーには、当該地区の住民(消費者)全員が押し寄せることになる。しかも、図では、住民(消費者)が6人しかいない地区を便宜的に想定しているが、実際には、もっと多くの住民(消費者)が存在するはずである。
2枚目の図の世界の方が、ウイルスが蔓延しやすいという考え方もできるかもしれない。そして、今現在の日本の状況は、どちらかというと2枚目の図の方に近いのではないか。
生活必需品、とくに食べ物の供給体制については、小さな飲食店も含めて、もう少し柔軟に考えてみる余地があるかもしれない。
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もちろん、上記の考察には、多くのツッコミどころがある。
1枚目の図は、地区住民全員が毎日外食し続ける状況を意味しているから、非現実的すぎて頭にスっと入ってこないという人もいるだろう。
また、(仮に行列ができていたとしても)必要なものをサっと買ってサッと帰るだけの小売店での感染リスクは、相対的に長時間店に滞在し、マスクを外して口に食べ物を入れるような飲食店での感染リスクよりも、どう考えても低いだろう、というお叱りの声も聞こえてきそうである。
小売店舗(スーパー)に消費者が集まりすぎている問題が仮にあるとしても、通信販売や宅配サービスを充実させることで、その問題は克服できるのではないかという意見もあるだろう。
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まだまだ考察が粗いので、ツッコミどころの多い議論になってしまてはいるけれども、そうはいっても、飲食店が軒並み休業・閉業することで、物販の小売店舗の方に平時よりも多くの消費者が集中し、新たな感染リスクが生じる可能性もある。この点については、上記の単純なモデルからでも指摘することができるだろう。
加えて、ガラガラの飲食店が遊休リソース化している。単純に何とかしてあげたいとも思うし、難局を乗り切るために活用すべきではないかとの考え方もあるように思うわけである。この問題、ひきつづき考えていきたいと思います。
*1:もちろん、しばらく店を畳んでも食いつなげるだけの蓄えもあるし、無借金だし、出店時の投資額もとっくの昔に回収し終わっているから、こういう選択肢を検討できるという側面もある。
『商業界』の破産に思うこと
もう1週間ほど経ってしまったが、雑誌『商業界』が破産したというニュースに、少し驚いた。破産の手続きは4月2日から開始されていて、負債総額は8億8000万円とのこと。
いちおう流通研究者の端くれなので、ウチの研究室ではいちおう『商業界』を購読していた。今になって思えば、2017年頃から、それまで無線綴じだった雑誌が、中綴じに変わっていた。この頃から、懐事情も厳しかったのだろうか…
ところで、『商業界』に関しては、さほど積極的に購読していたわけではない。むしろ、今、商店街で元気にやっている知り合いの商店主たちの顔を思い浮かべれば思い浮かべるほど、彼ら・彼女らの価値観とはまったくもって合わない雑誌だと、常々思っていた。普段お付き合いしている商店主たちは、「お客様のために店を毎日開ける」などとは微塵も考えておらず、むしろ「自分のペースを重視しながら商売を続けたい」という思いが強い。したがって、「家庭の事情(例:子どもの運動会)で急遽店を休む」こともしばしば。「顧客志向」というよりも「自分のこだわり」や「家族との時間」を重視しているし、顧客の側もそれでいいと思っている。そもそも、顧客のことを「お客様」などとは呼ばない。一定以上の年齢の商業者ならおそらく噴飯ものの経営スタンスなのである。
けれども、それくらいワークライフバランスや「自分らしい生き方」を重視している商店主の方が、消費者の支持を集める時代になりつつある。とくに地方の商店街では、それくらいぶっ飛んだ(?)商店主でないと、生き残っていけなくなっているし、それくらいのバイタリティをもった商店主にとっては、地方の衰退商店街こそ「楽園」なのである。昨年、書かせていただいた拙稿にも、それらしきことは一部盛り込んであるので、ご興味のある方はご高覧いただきたい。
CiNii 論文 - 衰退商業地における新規開業事例に関する研究:― 松山市三津地区におけるワークライフバランス事業者を事例にして ―
その点、『商業界』は、「顧客志向」や、「お客様」というスタンスは、最後まで崩せなかった。
販売技術系の特集(例:「ポップのつくり方講座」)もよくやっていたと記憶している。お付き合いのある商店主たちは、情報量の多い、ビレバン的なポップはむしろ毛嫌いしていたように思う。商品名と価格をシンプルに手書きするくらいのポップを多用していて、そもそも、店舗の内装のつくり方や商品の陳列の仕方がうまいので、ポップなしでも商品のよさが引き立っていた。そういう意味でも、彼ら・彼女らは『商業界』なんて必要としていなかった(存在すら知らなかったと思う)。ただし、そもそも雑誌なんて読まない層かというとかならずしもそうではなく、たとえば『ソトコト』や『スペクテイター』は手に取ったりしていた。
「三種の神器(100円商店街・バル・まちゼミ)」に代表される商店街イベントの紹介特集も多かった。「三種の神器」は、それぞれのイベントの設計思想それ自体はよかったが、比較的近年は、横展開しすぎたことの問題も顕在化していたと思う。また、お付き合いのある商店主には、よその「成功例」を自分のまちに「導入」してみるというのを、ことのほか嫌う人が多かった。そういう意味でも、彼ら・彼女らが『商業界』を手にとるはずがなかった。
というふうに、「このタイプの人たちが、これからの商店街を担うだろう」と思うに足るような人のペルソナを思い浮かべてみると、『商業界』的センスとはことごとく適合しないのである。
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ただし、僕自身、大学院生の頃から、『商業界』には大いに学ばせていただいたし、それに何より、倉本長治さんが『商業界』を立ち上げた意義それ自体はとてつもなく大きいと考えている。
『商業界』は終戦後まもない1948年に創刊された。当時、とりわけ都市部において、最も雇用吸収力をもった産業部門の1つが小売業であった。「戸板に商品を並べておけば売れた」時代でもあった。特別なスキルももたず、行くあてのない者の多くが、小売店舗を開業した。そうした人々に、「顧客志向」の重要性を説いたのが倉本さんであり、『商業界』であった。「特別なスキルももたず、行くあてもない者」たちに商人精神を説き、最低限の販売スキルを広めたところに、『商業界』の意義の1つがあるように思う。
ただし、現在は、(あんまりよい言い方ではないかもしれないが…)「特別なスキルももたず、行くあてもない者」が、いきなり小売店舗を開業するような時代ではもはやない。そういう人たちを吸収しているのは、もっと別のセクターになるだろう。だから、商人精神を啓蒙し続けるとしても、終戦後すぐの時代とはまた違った意味づけが必要だったように思うが、はっきりとしたコンセプトを再構築できていたかというと、かならずしもそうでないような気がしてならない。