たこめし目当てに西垣生へ

この土日で神戸に行ってきた妻を松山空港まで迎えに行ったあと、西垣生に寄ってみることにした。西垣生には「たこめし三原」という有名店がある。

夜の部が始まる17:00まで時間があったので、未体験ゾーンの西垣生最西端エリアを散策してみた。

興居島の小富士の方角に向かってのびる突堤に、釣り人が集まっていた。 

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サビキ釣りのおっちゃんが、1分に1匹くらいのペースで小魚を釣り上げている。

小富士の手前側をかすめるようにして、JALPeachの飛行機が、どんどん着陸してくる。

鳥もいる。 

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何もせずにぼけーっと時間を潰すのによさそうなところである。いい場所を見つけた。 

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「たこめし三原」のたこめしもおいしかった。 

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階下の駐車場を眺めていると、北九州ナンバーの車から、オレンジ色のお揃いTシャツを着た男女4人組がおりてきた。僕らの隣りのテーブルに通されたので、聞き耳を立てていると、大陸系なのか、台湾系なのかはわからないが、中国語をしゃべっているようだった。「たこめし三原」、国際的だ。

そして、彼・彼女らに対して、英語をしゃべろうとしたりなんかせずに、いつも通りの接客を貫徹する三原のおばちゃんたちもかっこよかった。「酢だこにはその(卓上の)三杯酢をかけて召し上がってください」って言ってるけど、どの程度通じているのかわからない。けれども、こんなところまで辿り着けるような4人組なわけだから、本人たちも忖度なしの接客を望んでいたに違いない。

里山資本主義の社会科学的位置づけ

里山資本主義』を著した藻谷浩介さんが近々松山にお越しになる、と聞いて、サブシステンス経済に関する議論をふと思い出した。

石垣島・西表島・竹富島の思い出(3):MIRAB経済試論 - にゃまぐち研究室

Bertram and Watters 論文から抽出されるのは、ある地域における経済のあり方に関する以下の3つの調整様式である*1。詳しくは、上述したエントリーも参照されたい。

ちなみに、上記3つの調整様式を三角形の図にしてみた。

 

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上記3つの調整様式はあくまでも理念型である。つまり、

  • 純粋なサブシステンス経済
  • 純粋な市場経済
  • 純粋なMIRAB経済

として把握できる実在の地域がどこかにあるとは考えない方がいい。

むしろ、

  • サブシステンス経済のウェイトの大きい地域
  • 市場経済のウェイトの大きい地域
  • MIRAB経済のウェイトの大きい地域

がある、と理解しておいた方がよい。また、Bertram and Watters 論文において、上記の3類型は、ナショナルスケールの分析のために用いられていたが、おそらく国内の島嶼を分析する際にも有用なはずである。上述したエントリーではそういう議論をした。

とはいえ、何も島しょ部に限る必要はない。中山間地域を分析する場合にも、上記の枠組みは有用である。

数年前に訪問した、四国の中山間地域のある町では、歳入の半分が国から交付される地方交付金であった。これはMIRABっぽい。

その収入の多くが、公務員の給料になっていく。これもMIRABっぽい。

第3セクターの企業に多くのお金が投下されている。これもMIRABっぽい。

民間企業のために多くの補助金を使っている。しかし、補助金頼みでなかなか自立化しない。これもMIRABっぽい。

その町では、年金生活の高齢者が多い。これもMIRABっぽい。

その町では、産業を育成することが地域的課題であり、各種の取り組みは、「焼け石に水」程度の成果しか生み出していない。これも、市場経済的というよりMIRAB的な兆候である。

その町の子どもたちの多くは、その町に働き口がないため、大きくなったら町を出て、相対的に都会な場所で働くことになる。これはちょっとMIRABっぽい。さらに、都会で稼いだ金を、その町にある実家に送金している家があるとすれば、めちゃくちゃMIRABっぽいが、さすがにそういう家があるかどうかについては確認できなかった。

上記のように、その町には無数の「過疎の町あるある」があった。とはいえ、その町では、米もつくっているし、農作物もとれる。いざとなったら山に食料をとりにいくこともできる。おすそ分けで回ってくる食べ物も多い。年間収入が120万円程度の人でも、何とか生きていくことはできる。これはMIRAB的ではない。市場経済的でもない。サブシステンスな兆候である。

里山資本主義」は、上記のようなサブシステンス経済を再評価しようという議論として読むことができる。あるいは、市場経済か? or MIRABか? としか問題提起してこなかった、オーソドックスな地域づくり論議に、第3のオプションを提示した。サブシステンス-市場-MIRABの三角形を描いてみると、そのことがなおさらよく理解できる。

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しかし…、である。80年代のニューアカブームを経験した読書人なら、既にニヤニヤしていることだろう。Bertram and Watters なんてマイナーな議論*2を引っ張ってこなくたって、カール・ポランニー(K. Polanyi)の3類型で事足りるんじゃないのか…、と。

よく知られているように、ポランニーは、経済社会の調整様式のパターンを、互酬・再分配・交換の3つに類型化した*3

「交換(exchange)」とは、貨幣によって媒介される生産物(財・サービス)の社会的移動のことである(厳密にいえば「市場交換(market exchange)」と表現すべきだが、煩雑化するので「交換」と表記する)。

「互酬(reciprocity)」とは、フラットな個人間・集団間における貨幣を媒介としない生産物のやりとりのことである。概念化にあたっては、ギブ・アンド・テイクの関係や、相互扶助関係が念頭におかれている。おすそ分け文化は「互酬」っぽい。田植えや稲刈りなどのような農作業の繁忙期に、農家同士が労働力を融通し合って手伝い合うのも「互酬」っぽい。やりとりしているのは貨幣になってしまうが、冠婚葬祭でお金を包み合うのも「互酬」っぽい。

「再分配(redistribution)」とは、中心性に特色づけられる生産物のやりとりである。ある部族の労働の成果が一端部族長に集められたのち再び個々の構成員に分配される場合のように、中央に向かう動きと、そこから再び外に向かう動きを含んだものである。ポランニーの枠組みを現代社会にあてはめて理解しようという議論においては、再分配の主体は、政府や地方自治体と理解されることが多い。われわれの納めた税金が政府や地方自治体に集まり、行政サービスの形でわれわれのもとに帰ってくる。

交換-互酬-再分配で三角形を描いてみた。さきほどの三角形と対応するように描いてみたつもりである。

 

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つまり、市場経済と交換は対応関係にある。サブシステンス経済と互酬も完全に一致しないまでもかなり親和的な関係にある。同様にMIRAB経済と再分配も親和的である。

里山資本主義」を、上述した「互酬の経済」的文脈でとらえ直すと、ポランニー的経済社会学がこれまで積み上げてきた研究成果と接合できるようになるだろう。それはそれでおもしろそうである。

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家族類縁的な三角形は、他の議論からも抽出できる。

上記の本も一世を風靡した。三角形の頂点に「NPO」ないし「ボランタリー経済」を持ってきてみた。

「ボランティア」には、「情けは人にためならず」の精神で「貨幣を介さずに労役を提供し合う」側面がある。だから、多かれ少なかれ「互酬」的でもある。

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大きな政府」や「小さな政府」の議論になってきたならば、こういう三角形とも親和的であるといえなくもない。

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ちょっと話が大きくなりすぎた感はある。ここで、リベラリズムの出発点とされるロールズや、リバタリアニズムハイエクノージック、さらにはコミュニタリアニズムのサンデルなど、大御所の議論を全部拾うのは、今の僕の能力では難しい。見取り図としてこの本*4を読ませていただいた。

もっとも、「互酬の経済」や「サブシステンス経済」、さらには「ボランタリー経済」までもが、「コミュニタリアニズム」と親和的である、と直ちに言い切ってしまうのは、ちょっと乱暴すぎるかもしれない。この点については、改めて検討してみたいと思う。

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以下、ここまでの議論の整理と感想。

  • 経済社会はどのようにまわっているのか? あるいは経済社会をどのように設計しうるのか? といった論点に関する議論を管見すると、家族類縁的な三角形を描くことができた。
  • 三角形の頂点が何を表すのかについては、以下のように整理できる。

 

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  • 領域Ⅰの中には、「自然(1次産品)からの恵みを大いに活用する経済」というニュアンスと、「自発的に助け合う」というニュアンスが含まれている。2つのニュアンスをどう整理するか?
  • 個人的には、「里山資本主義」のさらなる理解や普及のためには、2つのニュアンス両方に対する理解が必要になると考えている。
  • ついでにいえば、三角形思考は、二項対立の問題点を多少なりとも緩和するために重要である。

以上、考えたことを、考えた順に書きなぐってみた。あとでその先をまた考えたいテーマなので、稚拙なメモに近いけれども、敢えて公開しておくことにした。

ところで、こうやって整理してみると、社会科学は同じところをグルグルと回っているだけなのかもしれないな、とつくづく思う。

*1:Bertram, I. G. and R. Watters (1985) "The MIRAB Economy in South Pacific Microstates," Pacific Viewpoint, 26(3): pp.497-519.

*2:といっても、開発経済学の古典と言われる程度には有名なのだが…

*3:Polanyi, K. (1957) “The Economy as Instituted Process,” K. Polanyi, C. M. Arensberg and H. W. Pearson (eds.) Trade and Market in the Early Empires, Glencoe: The Free Press, pp.243-270(石井 溥訳「制度化された過程としての経済」K. ポランニー/玉野井芳郎・平野健一郎編訳『経済の文明史――ポランニー経済学のエッセンス』日本経済新聞社、1975年、259-298頁).;Polanyi, K. (edited by H. W. Pearson) (1977) The Livelihood of Man, New York: Academic Press(玉野井芳郎・栗本慎一郎訳『人間の経済I――市場社会の虚構性』;玉野井芳郎・中野 忠訳『人間の経済II――交易・貨幣および市場の出現』岩波書店〔岩波現代選書【特装版】〕、1998年).

*4:有賀 誠・伊藤恭彦・松井 暁編(2000)『ポスト・リベラリズム:社会的規範理論への招待』ナカニシヤ出版。

松山自動車道のアップダウンを可視化してみる

滑床渓谷を散策した際、久しぶりにGPSロガーを使った(cf. 滑床渓谷へ - にゃまぐち研究室)。ところが、スイッチをoffにすることなく、家路に就いてしまった。つまり、車で高速(松山自動車道)を移動している際にも、GPSのログをとってしまっていたわけである。

普段なら、そんな無駄ログはさっさと削除するに尽きるわけだけれども、よくよく考えてみると、松山自動車道のアップダウンを断面図として見てみるとどんな風に見えるのか、気にならなくもない。
そこで、せっかくなので、松山自動車道のアップダウンを可視化してみることにした。ただし、滑床渓谷から松山市内の自宅に帰る際のものなので、ログをとることができたのはあくまでも三間IC~松山IC間(上り線)だけである。

また、図中の三間ICの位置は、本線(上り線)と合流した地点を示している。その他のICの位置は、高速から降りるための減速車線が本線(上り線)と完全に分岐した地点を示している。さらに、煩雑化を防ぐために「トンネル」のことを「T」と表記してある。

 

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標高の高い区間

データ上の最高点は、黒岩岳トンネルの内子側入口から少し進んだ地点の標高349mであった。とはいえトンネル内の計測値なので信頼しない方がいいかもしれない。ちなみに内子側入口の標高は333mであった。

また、西予と大州の境目にある鳥坂トンネルの標高もそこそこ高い。こちらもトンネル内で標高340mを計測している。また、西予側入口の標高は328m、大州側入口の標高も328mであった。

繰り返しになるが、GPSデータは正しく計測されている保証はない。したがって今回計測したデータから、厳密な意味での最高点を割り出そうとはしない方がいい。

とはいえ、ザックリと考えて、黒岩岳トンネル、鳥坂トンネルの2つのトンネルが、松山自動車道において相対的に標高の高い二大区間とみておくことに問題はないであろう。どちらのトンネルも標高330m程度のところにある。

そして、トンネルの前後は、相対的に急傾斜の坂道になっている。

印象深い坂道について思い出してみる(下り線)

下り線を走っている場合のことを思い出してみたい。

伊予ICを過ぎたあたりから上り坂になる。知らず知らずの間に速度の落ちる区間である。路肩には「速度減少注意」というような表示もあったと記憶している。

その後、明神山トンネルに入ったところで、前の方の車が速度を落としているらしく、プチ渋滞することがよくある。トンネルに入ると、道幅がせまく感じるためか、無意識のうちに減速してしまうドライバーが多いためだろう、と思っていた。しかし、GPSデータからわかるのは、トンネルの伊予側出口と内子側出口の標高差である。ここからトンネル内も上り坂になっていることがわかる。正直言って、トンネル内も上り坂になっていることについては、運転していて印象になかった。明神山トンネル内のプチ渋滞は、トンネル内効果に加えて、上り坂効果のせいでもあるということだろう。

そして明神山トンネルを抜けると、黒岩岳トンネルの手前まで続く2車線区間に突入する。遅い車を追い抜きたいのだが、斜度のキツい上り坂であるため、なかなか思うように加速することができない。車のスペックの差が出る区間でもある。僕は普段はミッション車を運転しているのだが、ここで加速したい時はギアを3速に入れる。また、遅いのに登坂車線に移動しない車がいてイライラすることも多々ある。ともあれ、この区間の斜度のキツさは、GPSデータにもよく表れているように思う。

岩岳トンネルを抜けたあとは、一転、下り坂で高度を下げていくことになる。トンネルを出てすぐのところに、いちおう2車線区間があるけれども、距離が短いため、よほど遅い車が前を走っていない限りは、追い越しをかけないようにしている。

下り線の場合、大洲松尾料金所を過ぎてからの、上り坂の2車線区間も、印象的である。料金所で時速20~30km程度までスピードを落としてからの急加速が必要になるため、ここでもやはり車のスペックの差が出る。ミッション車は3速推奨。この上り坂でしっかりと高度を上げるからこそ、その先の鳥坂トンネルに辿り着くことができるわけである。

こうやって思い出してみると、やはり、黒岩岳トンネル手前と、鳥坂トンネル手前が、二大急坂である。われわれはトンネルに辿り着くために高度を上げている、といっても過言ではない。

印象深い坂道について思い出してみる(上り線)

 今度は南予から松山方面をめざす場合について思い起こしてみたい。

鳥坂トンネルを抜けたあと、大洲松尾料金所に至るまでの長い下り坂の2車線区間は、追い抜きをかけるのか、かけずに走行車線を走るべきなのか、迷うところでもある。料金所のETC専用レーンは左側にあるので、料金所の手前で追い越し車線から走行車線に戻る自信がある場合のみ、追い越しをかける。僕の場合、よほど遅い車がいない限りは(あるいはかなり空いている時間帯でない限りは)、走行車線を走ることにしている。

僕と同様、地元ナンバーの車はこの区間ではあまり無理をしない印象。ただし、県外ナンバーの車の中には、追い越しをかけていって、料金所の手前で無理やり走行車線に戻ったり、あるいは戻れずにそのまま一般車・ETC車兼用レーンに入らざるをえなくなるパターンを目撃することも、一再ならずあった。

正直言うと、上り線には、上記の区間以外に印象的な坂道は思い浮かばない。下り線よりも登坂車線の数や総延長が短いように思う。

強いて言うならば、明神山トンネルに入る手前の区間、伊予ICに向かって高度を下げていく区間、松山ICに向かって高度を下げていく区間などでは、とくに夕暮れ時に車のテールランプが連なって綺麗だなと思う。最後の松山IC手前の区間では、松山平野の夜景の中に飛び込んでいく感じも味わうことができる。

標高の低い区間

大洲料金所から大洲北只IC手前までの区間大洲道路になる。この区間は、上下線ともに最も長い2車線区間であると同時に、最も標高の低い区間でもある(今回の計測区間からは外れている宇和島朝日IC付近の方が低いかもしれないが…)。

大洲料金所の近辺は、昨年7月の豪雨で水没した*1。データを見て、改めて、大洲盆地の標高の低さを実感できた。

宇和盆地と三間盆地は意外と標高が高い

山岳区間の影に隠れて見逃してしまいがちだが、宇和や三間の標高は意外と高い。冬場に南予方面に用事がある際、鳥坂トンネルを抜けて宇和盆地に入ると、雪景色の歓迎を受けることがある。高校地理では、準日本海側気候の影響と習った記憶があるけれども、標高の高さも考慮要因かもしれない。

おわりに

以上、松山自動車道のアップダウンを断面図として可視化してみて、何となく気づいたことを書き綴ってみた。標高差300mを上ったり下ったりする、エンジンに負荷のかかる高速道路である、と、まとめてみようかと思ったが、他の高速道路、たとえば中国道や九州横断道もこれくらいの起伏はあるかもしれない。普段の自分の運転を省みるいい機会にはなった。

 

 

滑床渓谷へ

5月3日(金・祝)、妻と一緒に滑床渓谷を散策してきた。

本当は早立ちして、三本杭にまで足を延ばしたかったところだが、寝坊し、準備に手間取り、松山の自宅を出発したのが8:30。松山から宇和島市街までであれば、高速さえ混んでいなければ2時間弱(うまくいけば1時間半)で着く。が、滑床までとなると、プラス1時間は見ておかなくてはならない*1。結局のところ、滑床渓谷の駐車場に到着したのは11時過ぎだった。当初は、滑床を奥千畳まで遡ったあと、二の俣谷~熊のコル経由で三本杭に登頂しようと思っていたが、出発時刻が予定より2時間以上も遅れているので諦め、奥千畳までのユルめの散策に切り替えることにした。

気になったのは、ゴールデンウィークだというのに、観光客の姿が散見される程度だったということ。普段のゴールデンウィークであれば、溪谷を散策したり、水遊びを楽しんだりしている観光客がもっといてもおかしくないのではないかと思う。やはり、昨年7月の豪雨災害以降、消費者に行楽地として想起されにくい状況が続いているのではないか。

もっとも、後述するように、雪輪の滝よりも上流部分は、とくに右岸(溪谷を遡る場合向かって左側の岸)の散策道が要所要所で寸断されていた。地元の方(?)がトラロープを設置してくれていたりして、何とか通行することはできたが、あまりにも軽装備すぎる人や、山登りの経験がまったくない人にとっては、千畳敷や奥千畳まで散策することは難しかったかもしれない。ご参考までに。

 滑床渓谷駐車場の出発時刻は11:20。

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万年橋のたもとに年季の入った地図がある。

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万年橋から遡り始めて最初に出迎えてくれるのは三筋の滝。

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観光客こそ少なかったが、この日もキャニオニングのパーティを3~4組ほど目撃。

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「日本の滝百選」にも選ばれている雪輪の滝。ここは特別な装備なしでも滑ることができる。地元の人は、昔から、この滑滝を滑り台にして遊んでいたようである。

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ただし、雪輪の滝の横にあるこの滝つぼ(落合渕というらしい)では、数年前に松山市の中学生が亡くなっている。とくに増水時には、水流に巻き込まれて滝つぼの中から出られなくなる危険性が高い。特別な装備(ライフジャケットやヘルメット)無しで飛び込まない方がいいだろう。

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落合渕のすぐ上に橋がある。けれども、通行止めになっていた。寸断された散策道の再整備作業が、いまも続行中のようである。この時点では、右岸の散策道の荒れ具合がどの程度のものなのかわからなかったので、橋は渡らずに、左岸を遡ることにした。

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氷室跡の上流、千畳敷の手前で入渓。

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滑床小屋近くの渡渉ポイント。簡易的な木橋が架かっていた。左岸の木にワイヤーでゆわえられている。「増水時には素直に流されてしまえばよい。あとで回収すればよい」という設計思想。

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個人的に「宇宙の花」と呼ばせてもらっているギンリョウソウ。

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これは何という植物(キノコ?)だろう? あるいはコケの花か?

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入渓したまま遡行するのが難しそうなところで、右岸の散策道にエスケープ。新緑とコケのグリーンシャワーを浴びて、妻もご機嫌である。

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奥入瀬感の気持ちいいところで再び入渓…

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…したのも束の間、遡ってすぐのところが本流と二の股谷の分岐だった。ここが奥千畳である。14:20分到着。スタート地点の駐車場から3時間もかかった…。

持参したカット野菜と鶏ガラスープの素で野菜スープをつくり、おにぎりと一緒に食べた。デザートは鬼北(広見)の道の駅で買った清見タンゴール。朝、出がけに挽いたコーヒーを淹れて、東鳩オールレーズンと一緒にいただいた。気持ちよすぎて、妻は昼寝モードに。

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奥千畳の再出発時刻は15:30。1時間以上もくつろいだ。あとは、万年橋までサクっと下るだけである。

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滑床小屋近くの例の木橋を渡り、雪輪の滝までは左岸を下った。

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左岸の側にも1箇所だけ、散策道が寸断されているところもあった。有志(?)の方がトラロープを設置してくれているので、どうってことはなかったが、慣れない人にはちとツラいかもしれない。ご参考までに。

その後もサクサク下って、雪輪の滝および落合渕直上の通行止めになっていた橋の近くまで到着。

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展望台で雪輪の滝を見下ろしながら休憩。

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雪輪の滝より下流は、往路と同じ散策道で帰った。遊仙橋までは左岸、遊仙橋以降は右岸。

ちょっといただけないなと思うのは、お役所仕事の石畳である。傾斜がキツめのところを直線的なスロープにしてしまっている。年季が入って苔がついたりすると滑りやすい。とくに、近年は、キャニオニングのお客さんが、アクティビティを楽しんだ後、水滴をつけたままここを下るので、晴れている日でも石畳が濡れてしまい、フリクションが利きにくくい。僕はキャニオニングが悪いのではなく、お役所仕事の石畳が悪いと考えている。面倒でも階段にしておく方がまだマシだった*2
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万年橋に戻ってきたのが17:10。このルートで所要5時間弱ということは、歩行スピードを平均すると時速約1kmぐらいになりそうである…。時間をたっぷり使った、ある意味では贅沢な滑床散策であった。

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久しぶりにGARMINGPSロガーeTrex Venture HC)を使ってみたので、軌跡をアップしておく。

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久しぶりに立ち上げたので、GARMINさんもビックリしたのだろう、スタート地点の標高を正しく計測し損ねている(実際は350mといったところだが、50mになってしまっている)。また最高点の標高はGPSのデータ上では797mということになっているが、実際にはせいぜい700mだったはず。渓谷の中では同時に補足できる衛星の数に制約があるので、誤差が大きくなりがちなのだろう。

 

*1:滑床が目的地の場合、宇和島まで高速にのらずに三間I.C.で高速を降りる方が早い。

*2:なお、同様のお役所仕事的石畳は、新居浜の東平から銅山越へと登っていく散策道でも見かけた。

オオクボ君は正しかった

令和時代がはじまった。いい機会なので、平成時代がはじまった時の個人的な記憶を書き記しておきたい。

その頃の僕は福岡県久留米市にいた。昭和天皇が亡くなったのは、小学校1年生の冬休み終了間際のことだった。ちなみに、僕はテレビっ子ではあったが、残念ながら小渕官房長官(当時)の例のあの記者会見については、視た記憶がない。

あれよあれよという間に元号は「昭和」から「平成」へと改められた。

3学期の始業式の日、式に先立ってクラスでの集まりがあった。「朝の会」(ホームルーム)に相当する時間である。担任の先生は、当然のように新しい元号「平成」に言及した。

正確な文言を記憶しているわけではないが、おそらくこんな感じだった。 

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担任:「みなさん、おはようございます。冬休みは楽しかったですか?……ウンタラカンタラ。さて、皆さんも既にご存知のように、元号が『昭和』から『平成』に変わりました。『平成』という元号には、これからつくりあげていく時代をどういうものにしていきたいかという、願いが込められています。『平成』の『平』は…」

 

その時だった。クラスメイトのオオクボ君が、担任の先生を食い気味に、こうかぶせた。

 

オオクボ君:「平和に!」

 

担任の先生も応じる。

 

担任:「………、その通り! 『平和』の『平』ですね!」

 

ところが、その次が担任の想定通りにいかなかった。

 

担任:「では『平成』の『成』は…」

 

オオクボ君:「戦争をしない!」

 

担任:「………。そ、そうですね…モゴモゴ」 

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僕も「違うんじゃないか?」と思った。当時の僕は、「平成」の「成」は「成長」の「成」ではないかと考えたように記憶している。「成長」と「戦争をしない」は、頭文字の平仮名「せ」が一致しているだけではないか。

また、大人になった今言えることとしては、「成」という字の意味は、「成長」というよりも、むしろ「成る」という意味だろう。とすれば、新元号の「平成」には、「平和に成る」転じて「平和を達成する」という願いが込められている。そう解釈する方が自然だろう*1。 

「朝の会」が終わったあとは、始業式のために全校児童が体育館に集められた。今度は校長先生のスピーチである。内容はやはり「平成」ネタだった…

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校長:「『平成』の『平』は…」

 

オオクボ君:「平和に!」

 

校長:「…『平和』の『平』。『平成』の『成』は…」

 

オオクボ君:「戦争をしない!」

 

ここでもやはりオオクボ君の声は体育館中に響き渡った。

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あれから30年が経ち、改めて思い返してみると、リアルタイムで抱いたのとはまた違った感想も浮かんできた。

1つは、「平成」という元号の意味それ自体は「戦争をしない」という理解で問題ないということである。今にして思えば、担任の先生にしても、校長先生にしても、まず、「平成」を「平」と「成」に分解したうえで、それぞれの字義を確認したあと、改めて「平成」という新元号に込められた意味を解説しようとしていたのである。つまり、オオクボ君は、先生が「成」という字の意味を解説しようとしている段階で、フライング気味に「平成」という言葉の意味を語ってしまったのである。

もう1つは、仮に「平成」の「成」の意味を「成長」の「成」と解釈するのだとしても、そこに「戦争をしない」という意味を込めるのはあながち間違いではないということである。いやよく考えると、「戦争をしない」ようにすることは「成長する」ということそのものではないか。広島の原爆死没者慰霊碑に「過ちは繰り返しませぬから」と刻まれていることが思い出される。

そう考えてみるとなおさら、やっぱりオオクボ君は正しかったと言わざるをえない。

30年間を通して、日本という国は本当に「成長」できただろうか。具体的な出来事への言及はあえて避けておくが、「成長」とはいえないような出来事や論議も、散見されるようになってきた、というのが正直なところでもある。

*1:ちなみに、「成」という字は、小学校4年生になって初めて習う漢字である(cf. 別表 学年別漢字配当表:文部科学省)。しかし、僕の家では、小学校で習う漢字の学年別の一覧表がトイレに張り出されていたこともあり、小学校中学年になってから習う漢字についても、小1の時点でかなりの程度読めるようになっていた。

2019年4月、瀬戸黒森から篠山へ。:アケボノツツジ咲き始めてます

4月22日のこと。山岳部のF君、福田百貨店(@宇和島市御槇地区)の黒田さん、黒田家キッズと一緒に、瀬戸黒森から篠山を縦走してきた。

篠山に登ったことは過去に2回ほどある。いずれもアケボノツツジの時期だった。その時山頂から見えていた瀬戸黒森まで続く稜線に心惹かれ、いつか歩いてみたいと思っていた。

また、瀬戸黒森の西南尾根に風車の建設計画が持ち上がっていることについて、かねてより黒田さんは、「移住者を増やして集落を将来に残していくという観点からは、建設しない方が賢明」と主張してきた。

恐怖の白いタケノコ | 田舎暮らしをおすそ分け いなかマガジン | いなかパイプ

とはいえ、一度建設する方向で動き始めた流れをくい止めるのは相当難しいようで、孤軍奮闘を強いられているとも聞いている。だから、友人である黒田さんが守ろうとしている環境を、一度、自分の足で歩いてみて、自分の目で見て確かめたいと思った。こうした考えも、今回の山行の大事な動機の1つである。

さらに、「せっかくだから…」ということで、山岳部のF君も誘ってみると、2つ返事で「行きます!」とのレスポンスが。いちおうバリエーションルート主体の山行になるから、山岳部的文脈に照らしても、ちょうどいい練習になるのではないかと思った。

そういうわけで、今回は、以下の図のようにコースを取った。まず、Goal地点(篠山第一駐車場)に車2台で行く。そして、Goal地点に車1台をデポ。もう1台の車に乗り合わせてStart地点まで移動する。もう1台の車はStart地点でデポ。そこから山行開始。山行終了後、Goal地点に停めておいた車に乗り込み、Start地点まで移動。デポしておいたもう1台の車も回収する、という作戦である。

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最初は作業道(林道)からのアプローチ。

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尾根にあがってしまったあとは、気持ちのよい自然林のトレイル。瀬戸黒森まで、急登らしい急登はなく、ゆったりと歩くことができた。トレランの人を連れてきたら喜んでもらえそうである。

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ところどころに椿も自生していた。

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木登りできる木も要所要所にあって、フィールドアスレチックさながら。

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道の真ん中にギンリョウソウの芽らしきものも発見。成長すると宇宙植物のような不思議な花になるので、黒田キッズにも見せてあげたかったな。

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標高900~950mくらいの地点だったと思うが、向かって左手に鉄塔があった。風速を計測する機械がついているらしい。

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ちなみに、この風速計測装置のある地点は、下図に示した合計10基の風車建設予定地点のうち最も北東(右上)のものから数えて2つめの地点と思われる(データは「えひめ風車NET 南予の風車計画一覧 - Google My Maps」から借用し、一部加筆も施してある)。こうして建設予定地を見てみると、この日歩いた尾根の上だけでも、6基もの風車が立ち並ぶことになる。当然ながら管理用の自動車道も整備されることになるだろう。そうなるとあの気持ちのよいトレイルもなくなってしまうに違いない。こんなにゆったりと歩くことのできる尾根はそうそうないだけに、山歩きを愛する身としては残念である。

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瀬戸黒森西南尾根を歩いていて、もう1つ印象に残ったのは、定期的に登場する年季の入った境界杭である。山歩きをしていると都道府県境に杭が埋め込まれているのをよく見かけるけれども、こんなに年季が入っていて、わざわざ手掘りの文字が刻まれているものは珍しくないか?

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かつて、このあたりの山域では、伊予と土佐の境界の位置をめぐる争いが絶えなかったらしい*1。詳しいことはわからないが、上掲の杭もおそらく、設置の経緯を調べていくと、すくなくとも廃藩置県の頃までは遡ることができのではなかろうか。

そうこうしているうちに、13:00ちょっと前に瀬戸黒森山頂に到着。スタートが10:40なので、所要2時間20分。距離の割にだいぶかかったが、キッズと遊びながら歩いてきたことを考えると、当然といえば当然である。ここで遅めの昼休憩をとった。眺望は効かないけれども、小広くて、静かで、おだやかで、長居したくなる山頂だった。

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スタートから瀬戸黒森までは北東に向かって歩いてきたが、瀬戸黒森から篠山までの区間は南東に向かって歩くことになる。結論からいうと、この区間も気持ちのよいトレイルが続いていた。ただし1点だけ留意点がある。瀬戸黒森山頂から下り始めてすぐのあたりの尾根道が寸断されているのである。原因はムチャなつくり方をした作業道(林道)のせい。やむなく計200~300m程度(スイッチバック2回込み)、この作業道を歩くことにした。斜面側から崩れ落ちてきた石が堆積しているおかげで、ザレ場をトラバースする時のような感覚を味わったが、キッズはこんな道の方がかえって楽しそうだったりする。

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それにしてもこの作業道はどこからきてどこに繋がっているのだろう。むしろそれが気になってきた。あと、この区間だけは、冬場はピッケルが欲しいところだろう。

ちょうどいいところで作業道から尾根道に復帰してしばらく進むと、篠山トンネルの直上に到着。ここがちょうど瀬戸黒森と篠山の間の最も低い地点(鞍部)になる。今後は、篠山トンネルをくぐる度に「上の尾根を歩いたことがある」と自慢することにしたい。

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ザレ場もそれはそれで楽しかったが、やはり鞍部よりも篠山寄りの区間が気持ちのよいトレイルだったと思う。木登り休憩(?)を挟みながら進んだ。ただし、終盤、篠山に近づいてくると、尾根の幅が拡がってきて、どこでも歩けるような状態になった。気を抜くと目標としている方角をロストするかもしれなかったので、念のためシルバコンパスを出して、進行方向を確認しながら進んだ。もっとも、登りの場合はさほど心配する必要はない。注意すべきなのは逆方向、つまり、篠山側から下る時だろう*2。ともあれ、地図読み的にもルートファインディング的にも、いい練習になったのではないかと思う。

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そんなこんなで、篠山山頂到着は16:10。山頂付近のアケボノツツジは満開! というわけにはいかなかったが、気の早い株だけは綺麗な花をつけていた。おそらく数日中に他の株も開花し始めるものと思われる。今度の週末はぜひぜひ篠山へ!

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それにしても、いつ来ても篠山山頂(厳密には山頂の肩から北に向かって突き出している岩)からの眺めはすばらしい。

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ただし、ことこの日に限っていえば、お目当ては瀬戸黒森側のこの眺めだろう。

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というのも、篠山山頂からは、今回歩いたルートのほぼほぼ全区間を眺めることができるのである。とはいえ、思っていた以上に、本当によく見える。今回の山行の計画段階では、「あの尾根を歩いてきたんだ」という満足感がこんなに大きいとは思っていなかった。嬉しい誤算である。
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風速測定器の鉄塔もよく見えていた。ちなみに、鉄塔の左手奥にうっすら見えているのはおそらく竹ヶ島だろう。

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そういうわけで、篠山のピークハントはほぼほぼオマケのようなものだったといってよい。

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篠山からの下りはサクっと下りて、17:30にGoal地点に到着。高低差はさほどないけれども、歩きごたえはしっかりある、いいコースだったと思う。

また、アケボノツツジの時期は、篠山が最も注目を集める時期でもある。こんな時だからこそ、あえて篠山と絡めながら瀬戸黒森を紹介してみた。隣りの瀬戸黒森もすばらしい山であることを、多くの方々に知っていただきたい。

ちなみに、Goal地点である篠山第一駐車場では、長崎から来たという三百名山ハンターのおっちゃんが晩御飯を食べていた。今夜は車中泊し、明朝、篠山にアタックするようである。祓川温泉には入って帰ってくれただろうか? 

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コースタイム

Start(10:40)‐瀬戸黒森西尾根に取りつく(11:00)‐鉄塔(12:30)‐瀬戸黒森山頂(13:00-13:30)‐尾根が寸断されてできた崖(13:45)‐P922(14:50)‐篠山北尾根・西尾根分岐(16:00)‐篠山山頂(16:10-16:45)‐大杉に寄り道(17:00)‐Goal(篠山第一駐車場)(17:30)

※ 6歳児と一緒に歩いている。成人オンリーの山行ならもっと早いはず。

 

余談

ところで、この日の山行で、10年弱使ってきた登山靴のアウトソール(靴底)がはがれた。ちょうどザレ場と化した作業道を歩いている時に、右足の靴底がはがれはじめていることに気がついたが、その後はあれよあれよという間に、左右両方ともソールがはがれおちてしまった。黒田さん曰く「靴って左右同時に壊れるんだ…」(笑)

 

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 今回の山行には難しい区間がなかったからよかったけれども、岩稜歩き込みだったならヤバかったかもしれない。歩行困難になった時点が登山靴の寿命なのではなく、おそらくそのちょっと前の時点で既に寿命は尽きているわけである。今後の反省材料としてメモしておきたい。

 

*1:cf. データベース『えひめの記憶』|生涯学習情報提供システム

*2:幅の広い尾根を下る時に、主稜線を外して支尾根に迷い込み、そのまま遭難してしまうケースがけっこうある。

大島石をはつる

伝統工法にこだわった家づくりを実践しておられる建築士の橋詰飛香(野の草設計室)さんから、「大島石をはつりませんか?」とのお誘いをいただいた。なんでも、これからつくる家の土台になる石を、有志メンバーではつる(削って形を整える)らしい。なかなかない機会なので、学生を連れて参加させてもらうことにした。4月21日(日)の話。

結/Yui 大島石体験&『石はつり隊』結い作業のご案内

今回のイベントは、橋詰さんの野の草設計室が、NPO法人能島の里の協力も得ながら開催した形になるようである。能島の里は、普段から「石文化体験メニュー」の企画・運営に携わっており、採石場で体験メニューを安全に実施するための、十分なノウハウを持っている。

また、イベントの趣旨を理解するためには、橋詰さんの普段の活動についてもある程度理解しておく必要があるかもしれない。既にふれたように、橋詰さんは伝統工法にこだわった家づくりを実践しておられる。「伝統工法にこだわる」ということはどういうことか? 木造にこだわり、新建材を使わずに、古き良き日本の家づくりを実践するということである。すると、まるで建物自体が呼吸をしているかのような素敵な家ができあがる一方、新建材でサクっと建てた家を購入する場合よりも、お金は必要になってしまう。結果として、日本の伝統的家屋の良さは認めつつも、金銭的な制約によって、現実的には新建材の家を選ばざるをえない人が多くなってしまうわけである。

そこで、近年、橋詰さんは、有志によるワークショップ形式の共同作業を取り入れて、家の建築資金を一定程度抑える方法を模索している。もちろん、プロに任せなくてはならないところはプロに任せる。けれども、やりよう次第では、素人さんに作業させても、それなりに何とかなる箇所もあるらしい。僕自身も、以前、竹小舞を編む作業や、土壁を塗る作業に参加させてもらったことがある。そして、こうした共同作業のことを、橋詰さんは、現代版の「結(ゆい)」として位置づけようとしているわけである*1。そういうわけで、今回のイベントには、橋詰さんが建てようとしている家の施主さんも参加されていて、昼食のカレーをふるまってくださった。

当日は、今治市営球場の駐車場に9:30に集合したあと、参加者同士、可能な限り同乗することで、来島海峡大橋(有料)を渡る車の台数を減らす作戦で、宮窪地区のカレイ山展望台の駐車場まで移動した。 展望台駐車場から、徒歩で数分程下ったところに、はつり体験の会場である水の谷石材さんの石切場があった。ちなみに水の谷石材さんは、普段から、「石文化体験ツアー」の石割体験会場を提供しているそうである。

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作業の進め方や、注意点についての説明を受ける。

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今回、はつる石は、家の柱を支える土台として使うらしい。この石の上に柱がのるということである。石の表面がツルツルしていると、ちょっとしたことで柱がずれてしまう可能性もある。だから、石の表面をザラザラにしたい。100%正確に理解できた自信がないけれども、今回のはつり作業の意味はそんな感じだと思われる。

数分ほどはつった石材。こんなもんではまだまだはつりが足りない。

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上背がないとはつり用のハンマーにうまく体重がのらない。ゼミ生のKさんは慣れるまで一苦労していた。ハンマーが怖くて腰が引けている点も、いまいち体重が乗りきらない要因といえる。体重が乗りきらず、力が入らないので、ハンマーが暴れ回ってしまうのである。

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参加者がはつり作業を進めている間に、石切場の片隅から煙が上がり始めた。気になったので見に行ってみると、即席のかまどの上にセットした羽釜でお米を炊いているようだった。

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石切場の隅には、使い道のない端財の石が積まれていた。これらの使い道を考えることにも意義がある。大学に期待されているのはこういう分野での貢献だろう(あるいは高校の地域研究にも適合的といえるかもしれない)。

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そうこうしている間に、はつり作業完了。この石に関しては、当ゼミ生だけで最初から最後まではつりきったことになる。もっとも、石はまだまだあるのだけれども…

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お昼になったので、みんなで、施主さんが腕によりをかけてつくったカレーをいただいた。

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正確な文言は忘れたが、水の谷石材の村上社長が「こんなことになる(ここでみんなでお昼を食べることになる)とは思っていなかった…」とおっしゃっていた(もちろん否定的なニュアンスは感じられない言い方だった)。おそらく、石文化体験ツアー的文脈では、採石場でそのまま食事会を開催することなど思いもよらないことだった、ということなのだろう。とはいえ、橋詰さんのやり方的には、共同作業に参加した全員で一緒にご飯を食べるというプロセスは、はずせない要素の1つである。現代版の「結い」として位置づけるならばなおさらのこと。どうやら、今回の参加者たちは、水の谷石材、能島の里、野の草設計室それぞれのノウハウや発想が融合し、新しいものが生み出された瞬間に立ち会うことができたようである。 

昼食後に、石切現場の見学ツアーが企画された。

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どうやってこんな断崖絶壁が出来たのか? 数十年かけて上から掘り下げてきたらしい。岩肌にはきっと、職人さんたちの汗と労苦が染み込んでいるに違いない。そして時には血が染み込んだこともあるのだろう…。「まるでグランドキャニオンだ!」と感嘆することも大事だが、その背後にある労働の尊さにも意識を向ける必要がある。

はつり作業の動画。終盤になるにつれて、作業の習熟度が徐々に上がっている。動画を見返すとそれがよくわかった。

 

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作業終了後、橋詰さんお手製の蒸しパンのほか、参加者のもちよったお菓子もシェアして、おやつタイム兼反省会。他の参加者さんの話を聞いていると、子育て世代あり、移住してきたテレワーカーあり、大工さんあり、そしてわれわれのような大学関係者ありで、橋詰さんの企画するワークショップは、多様な属性の人々が集う場としても機能し始めているのだな、と改めて感じた次第である。

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ちなみに、昨年の4月に、橋詰さんが担当している別の家の、竹小舞編みと土壁塗りに参加させていただいたことがある。その時に、床下を覗かせていただいた。参考までにその時の写真もアップしておく。今回はつった石も、おそらくはこのような使われ方をするのではなかろうか。

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*1:橋詰さんの野の草設計室について詳しく知りたい方はウェブサイトをご参照ください。http://nonokusa.com/