「読書道」のたたき台

何気なしにつぶやいたこのツイート(post)に…

 

ありがたいことに…

…とご反応いただいた。

で、調子にのって、こんなことや…

こんなことも…

…つぶやいてみた次第である。

で、それを見返していて、案外悪くない方向性なのではないかという気がしてきた。「自画自賛」とはこのことですか? そうですか…

こういうことをついついつぶやいてしまった背景には、いちおうは問題意識的なものがある。最大のものは…

  • 本を読む習慣のない人が増えている。
  • 結果として「議論を重ねること」の意義が軽視されがちな風潮
  • 過度に単純化された「わかりやすい」議論に飛びつく人が多くなっている。
  • それだけならまだいいが、最近はその傾向が行き着くところまで行き着いてしまって、込み入った議論ですら「単純化」して「わかりやすく」整理できなければダメだ、という風潮も生まれ始めているのではないか…

…といったもの。

「おっさんの小言」みたいになってしまうかもしれないが、結果として、政治のこと、教育のこと、地域づくりのこと...etc. 掘り下げた議論に参加できる一般市民の割合が、著しく下がってきた。これはこの国にとっても不幸なことだと思われるし、練りに練って紡ぎ出した論文の意義が、引用数とかインパクトファクターとか、「わかりやすい」数値的指標でしか評価されにくくなっていく、という意味では、わたしども大学教員にとっても不幸なことである。

読書会の「敷居の高さ」

読書文化を盛り上げるためにはどうしたらよいだろうか?

1つの解決策として「読書会」というものがある。耳目を集めている本、1人では読み切ることが難しそうな本、参加者のおすすめの本...etc. どんな本でもいい。みんなで読む本を1つ決めておいたうえで、毎回、区切りのいい区間を各自で読んでくる。読書会という場では、指定区間の内容を簡単におさらいしたうえで、感想、疑問点、論点などを共有し合う。大学のゼミの「輪読」に似ている。

ただし、このやり方。既に本に親しんでいる人たちに最適化されたやり方なのではないかと思う。読書に馴染みのない人にとってはしんどいかもしれない。しんどい理由はいくつかある。

第1に、あたり前といえばあたり前だが、読んでこなくてはならないことである。

通常、読書は自宅か、通勤・通学途中の「すきま時間」におこなうものだろう。しかし、自宅や「すきま時間」に読書しようと思っても、さまざまな「誘惑」がある。職場でやり残した仕事(とくにちょっとした「雑務」は持って帰ってしまいがち)。家事・育児。SNSもチェックしなくてはならない。読書に馴染みのない人にとって、「各自で読んでくること」は、読書人が想像する以上に敷居の高いことなのである。

第2に、本を買わなくてはならないこと。

読書会(「会」のところ強調!)というからには、参加者が複数人存在する。もちろん読書会というものは、すくなくとも当初は、興味関心領域の比較的近い人たち同士で結成するものである。おそらく「まずはこの本を読みましょう」とアナウンスしてから、「この指とまれ」方式でメンバーを集めることが多いのではないだろうか。したがって、最初のうちは「課題図書」の選定に対する不満は顕在化してこないのではないかと思う。ところが、続けていくうちに「今度はこれを読みましょう」ということになった本が、自分の興味関心とはビミョーにズレるということもちょくちょく生じるようになってくるだろう。なのに買わなくてはならない。

ついでに言えば、読書に馴染みのない人たちにとって、本は「高い」。何でもいいのだけれども、たとえばジョン・アーリの『モビリティーズ:移動の社会学』(作品社、2015年)を読みましょう*1、ということになったとする。難解そうな本である。まさにこういう本こそ、読書会形式で読み進め、疑問点や論点を共有したいところである。しかし、難解な本ほどお値段は「高い」。難解だから価値があるという意味ではない。難解だからこそ、ベストセラー的な本よりも需要が少なく、生産ロットを小さく抑えざるをえない。だから「高い」のである。ちなみに3800円である。興味関心のど真ん中であれば、この3800円は惜しくない(はず?)。けれども、興味関心のど真ん中から少しずれている場合、この3800円を負担に感じる人も多いだろう。

ちなみに、大学のゼミの場合、ゼミの受講者にコピーを配布することが、著作権法上いちおうは認められている。

学校その他の教育機関(営利を目的として設置されているものを除く。)において教育を担任する者及び授業を受ける者は、その授業の過程における利用に供することを目的とする場合には、その必要と認められる限度において、公表された著作物を複製し、若しくは公衆送信(自動公衆送信の場合にあつては、送信可能化を含む。以下この条において同じ。)を行い、又は公表された著作物であつて公衆送信されるものを受信装置を用いて公に伝達することができる。
著作権法第35条)

だから「お金のない」受講生にコピーを配ってあげることができる。

しかし、読書会に集まるのは多くの場合、社会人である。たしかに多くの社会人は給料がなかなか上がらずに苦しい思いをしている。けれども学生と同じ意味において「お金がない」わけではない。また、それ以前に、読書会は「学校その他の教育機関」とは認められない。したがって、読書会の参加者に「課題図書」のコピーを配布することはできない。著作権法上「アウト」である。

以上のような理由もあって、「各自で読み進めてきた課題図書」の内容について議論する形式の読書会は、とくに読書に馴染みのない人にとっては多分に「敷居の高い」ものなのではないかと思う。

この際、本の内容に関しての「議論」はほどほどにしておいて、「読むこと」それ自体を楽しめるような、そんな仕掛けが求められているようにも思うわけである。かならずしも「みんなで同じ本を読む」必要はないのではないか? むしろ、各自、読みたい本を読みつつ、そうはいっても一定以上の時間は集中して読書に勤しみ、満足感(自己満足感で可)もあり、継続しやすいやり方はないものか?

お茶席にお呼ばれした時のことを思い出してみる

で、10年以上前に、ご縁あってお茶席にお呼ばれした時のことを思い出してみた。流派にもよるかもしれないが(ちなみに裏千家の家元先生のお宅でした)、部屋に入る時は右足から…とか、畳の縁は踏まない…とか、まず床の間の飾りつけを拝見する、次に釜を拝見する…とか、お茶の世界には数えあげればキリがないほどさまざまな「お作法」がある。

もてなす側と正客さんとのやりとりも新鮮だった。正客さんは、この掛け軸は誰の作ですか?とか、お花は? 花入れは?とか、茶器やナツメにいたるまで、ちゃんと聞くんですね。おもてなし側は「一期一会」のために、床の間の掛け軸や花から、茶道具に至るまで、心を込めてチョイスしている。チョイスの主旨についてちゃんと質問する、というのが礼儀なんですね。

そういうわけで、茶道はトライしてみたい習い事の1つである。単にお茶を飲めばよいのではない。所作の1つ1つに意味がある。場数を踏んでいくと、そうした所作が身についていく。ただし、そうした所作を身につけるのも、結局はおいしいお茶を飲むためなのである。なんて素敵な「道」なんでしょう。

映画『たんぽぽ』の冒頭についても思い出してみる

もう1つ思い出すことがある。伊丹十三監督の名作映画『たんぽぽ』冒頭に登場する蘊蓄じいさん。「ラーメンの食べ方」として、一部の界隈では有名すぎるほど有名なあのシーンである。

 

youtu.be

この蘊蓄じいさん。まず、箸で麺を愛でるように撫でろ、とか、チャーシューをドンブリの端っこに移動させて、心の中で「あ・と・で・ね」と声をかけろ、とか、本当にうるさい。けど、なぁんか面白いんですよね。

「読書」にもこういう「お作法」的なものをつくれば…というかでっちあげれば、そこそこ面白くなるのではないか。そんなことを考えて、①から⑦までの「お作法のたたき台」的なものをツイートした次第である(先述)。

読書愛好家や書店関係者の話も聞いてみたい

とはいえ、この際だから「正式なたたき台」(「たたき台」に「正式」もクソもあるのかわからないが…)をつくるまでのプロセスも楽しんでしまった方がいいように思う。自分でいきなり「たたき台」をつくってしまうのではなく、読書愛好家や書店関係者の「本の読み方」、さらには「本の愛で方」についてもお話しをお聞きしてみたい。お聞きしたお話しをインタビュー動画の形式でYouTubeに公開し、それなりに論点が蓄積してきたところで、いよいよ「正式なたたき台」をつくるのがよいと思う。

考えてもみれば、松山の書店のお知り合いたち…、たとえば本の轍さんは、三帆堂の竹内さんは、普段どんなふうに読書しているのだろうか?東温の「駅と珈琲」の藤岡さんにも普段からお世話になっているぞ。「いよ本プロジェクト」の岡田有利子さんは*2? 御槇の福田百貨店の黒田さんや、西予のlokki coffeeさんも、本が好きそう。また大学の同僚に聞いてみるのもおもしろそうである。県外に目をやれば、高松のなタ書の藤井さんはどうか? 先日お邪魔したまるとしかくさんは? 読書のスタイルは各者各様。さまざまなスタイルがありそうなんである。

ところで、何を隠そう僕も、学生時代に、松岡正剛さんの「千夜千冊」をちょくちょく読ませてもらっていたクチである。もちろん、本の内容に対する松岡さんの解説・批評がお目当てではあった。ただ、もっと強烈に印象に残っていることがある。具体的に第何夜のことだったか思い出せないけれども、松岡さんによる本への書き込みのスキャン画像がアップされていたのである。鍵概念を丸で囲み、ある丸から次の丸へと何行かの文章を跨ぐ形で矢印が引かれていたと記憶している。「書き込みする派」オンリーになるが、他人が本にどのようなスタイルで書き込みをしているのか? 個人的にはすごく興味がある。

また、本への書き込みよりもノートテイキングの方に力を入れている読書人もおられることと思う。ノートのとり方も「読書道」にぜひ取り込みたい要素の1つである。

ちなみに、社会学者の富永京子さんは、読書会やゼミの輪読で自分がとったノートの画像をTwitter(X)上にちょくちょくアップしている。これも、すごくおもしろい。

 

当面の目標

そんなわけで、「読書道」を本当に立ち上げるとしたら、いろいろな人の読書のスタイルについて、まずは話を聞いてみるところから初めてみると面白そうだし、賛同者も増えそうな気がしている。誰か一緒にやりませんか?

聞いた話を参考にしながら「正式なたたき台」をつくってみる。「ラーメンの食べ方」でいうところの、「チャーシューをドンブリの端に移動させて、箸でおさえてスープに浸らせる」に該当するような、細かおもしろい「お作法」をでっちあげたいところである。誰か一緒にやりませんか?

その点、

③手にとって装丁を愛でる。
④パラパラして本の匂いを嗅ぐ。

…は、われながらまあまあいい線いってるのではないか。誰か一緒にさらなるアップデート作業をやりませんか?

*1:作品社|モビリティーズ

*2:岡田さんは今治コミュニティFMで僕が担当している番組にゲストとしてお呼びしたことがあります。よかったら聴いてみてください。お結びころりん(2022年6月1日放送分) - YouTube