『岸和田少年愚連隊』と『岳』

『卒業』と『砂の器』はおもしろく視聴させてもらった一方、『岸和田少年愚連隊』(監督:井筒和幸;1996年)と『岳』(監督:片山修;2011年)に関しては、映画の世界観にいまひとつ入り込めなかった。

岸和田少年愚連隊』は、ケンカに明け暮れるチュンバ矢部浩之)と小鉄岡村隆史)の成長譚…というわけでもなく、ただただケンカに明け暮れるだけの毎日を描いた作品(であるように思えた)。

この映画の登場人物たちは、いまいち正々堂々としていない。数的優位の時には妙に威勢がいいけれども、不利な時には弱弱しく逃げ惑う。不意打ち的なやり方でやり返し、同じようなやり方でやり返される。チュンバたちや、対立する不良グループの面々が、どうしてここまでケンカに明け暮れるのか、よくわからず、いまいち入り込めなかった。

ただし、対立する不良グループに追われて逃げ惑うチュンバたちが、細い路地で追っ手に犬を犬小屋ごと投げつけるシーンでは、笑わせてもらった。

『岳』は、島崎三歩(小栗旬)というよりも、椎名久美(長沢まさみ)の精神的成長を描いた作品に仕上がっている。その一方で、遭難し、救助される側の人物描写には、さほどの時間が割かれていない。原作(マンガ)であれば、遭難される側にも、山に登るそれ相応の理由があることについても、尺(コマ数)を割いて説明していたように思う。しかし、映画の尺は2時間程度なので、遭難者の人物描写に尺を割きつつ、さらに久美の成長までを描き切ることは難しかったのかもしれない。展開が早すぎて、いろいろと無理のある映画だなと思った。

以下、余談。

冒頭に登場する遭難者。アイゼンに雪玉がついて、アイゼンが雪面にうまく刺さらなくなる。そこで、あろうことかアイゼンを外して、ザックの後ろにアイゼンをかけて登り始める。なんてバカなことを! と思っていると案の定滑落。

滑落直後の対応もいただけない。滑落してしまったら、すぐにうつ伏せになって、ピッケルを雪の斜面に突き立てなくてはならない。残雪期(?)とはいえ、雪山に単独行しようという時点で、フツーはこれくらいの訓練はしているはずなのだが…。しかし、この遭難者は、あおむけに滑落してしまう。こうなると、身体と斜面の間にフリクションが利かず、そのまま滑り落ちていくことになる。そして、クレバスの中に落ちる。

ところが、クレバスに落ちていく途中で、ザックの後ろにかけていたアイゼンが氷壁に刺さり、すんでのところで止まる。無謀にも雪渓歩き中にアイゼンをはずしてしまったことが滑落の直接的な原因であるが、その無謀行為のおかげで、いざクレバスの中を落ちる段ではすんでのところで命を救われることになった。ここは、ある意味では笑いどころであった。ただし、登山をやらない視聴者には、こういうことはさっぱりわからないだろう。

その遭難者が、ラストシーンでも再登場し、三歩と再会する。三歩は、九死に一生を得た遭難者が、また山の世界に帰ってきたことを知り、感動する。この遭難者(元遭難者)は、この時はさすがに、アイゼンについた雪玉をピッケルでカツンとやって取っている。つくり手としては「成長して帰ってきたね」ということにしたいのだろうが、クレバスになんか落ちなくてもフツーはそれくらいの技術(?)は身に着くものだと思う。