石垣島・西表島・竹富島の思い出(3):MIRAB経済試論

石垣島・西表島・竹富島の思い出(1) - にゃまぐち研究室

石垣島・西表島・竹富島の思い出(2) - にゃまぐち研究室

ここまで2回にわたって、八重山諸島石垣島西表島・武富島で見たもの・感じたものを書き綴ってきた。語り足りないことをもう1エントリーだけ。

僕が物心ついてから初めて島らしい島を訪問したのは*1、今の仕事に就いた2012年のことで、その時は、長崎県五島列島福江島と、そのサテライトのような島の1つである黄島(おうしま)にお邪魔した。

その後、昨年卒業したゼミ生たちが2回生の時に「島の研究をしたい」というので、勉強も兼ねて愛媛県下の島をいくつか周遊し*2、結局、宇和島の九島に通うことになった。

その後、大三島に何度か通っていた時期もあるし、昨年は、新2回生を連れてやはりしまなみ海道の大島や伯方島、さらには八幡浜大島を訪問した。

プライベートの話をさせてもらえば、妻(当時は妻ではなかったが…)と初めて一緒に遠出したのは、しまなみ海道の大島であった。

しかし、八重山諸島は、僕が訪問したことのある、上記のような島々と比べても、離島性が格段に高いように思う。すくなくとも愛媛県内の島で「離島」を感じることはそうそうないし*3福江島と黄島はイイ線行っていたが、それでもやはり、沖縄本島よりもはるか南西に浮かぶ八重山諸島の島々の離島性には比べるべくもない。

今回の八重山行きは、初の本格的離島体験だったといってよい。

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島の研究をしていたゼミ生たちと、開発経済学の古典の1つである Bertram and Watters (1985) 論文を読んだことがある。

  • Bertram and Watters (1985) "The MIRAB Economy in South Pacific Microstates," Pacific Viewpoint, 26(3): pp.497-519.

 いわゆる「MIRAB経済」に関する有名な論文である。「MIRAB経済」とはMigration(お金を稼ぎやすい国への出稼ぎ移住), Remittances(出稼ぎしている親族からの送金), Aid(先進国からの経済援助), Bureaucracy(官僚制)の頭文字をとったもので、産業化の進んでいない島嶼国の経済は上記の4つでようやく回っている、という話。

たぶん以下のようなイメージになる。

自分の国には産業がない。だから国民はお金を稼げない。自国に留まりたければ公務員になるしかない。それが無理なら、より豊かな国に出稼ぎに行く。出稼ぎ先から、本家にお金を送金する。

産業化が進んでいないので、先進諸国からの経済援助がある。ただし、多くの場合、その経済援助は国内産業を育成するためというよりも、公共事業的に使われてしまう。また、民間企業が育成されていないので、公共事業も直営方式で実施せざるをえない。結果として、官僚組織は肥大化していく。

ありそうですね、そんな国。

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ちなみに、Bertram and Watters (1985) は国家のレベルで「MIRAB経済」を論じている。あ、いや、厳密に言えば、Bertram and Watters の分析レベルは超国家レベルと言えるかもしれない。産業化の進んでいない島嶼国の経済について理解するためには、一国自足的な経済モデルが有効でない、そうした国の経済を分析するにあたっては、出稼ぎ先からの送金や、先進国からの経済援助も考慮しなくてはならないからである、というのが彼らの問題意識である。Bertram and Watters (1985) はそういうスケール感の論文である。

あの時は、学生たちと、日本国内の島嶼研究を進める際のヒントになるかな、と思ってこの論文を読んだけれども、自分たちの研究に援用するのであれば、元々国家レベルで展開されていた議論を地方自治体レベル、あるいは個別の島レベルに落とし込むための論点整理をする必要があった。結論から言うと、この作業は学部生にとってはちょっと荷が重かったので、その後、論点をそれ以上深めることはしなかった。

パッと思いつくだけでも、分析レベルには以下のようなものが考えられる。

  1. 国家のレベル=Bertram and Watters (1985) の分析レベル
  2. 都道府県レベル
  3. 地方自治体レベル=学生たちと考えたかった分析レベル(1)
  4. 個別の島レベル=学生たちと考えたかった分析レベル(2)

ここで考えたいのは、日本の離島(個別の島レベル)でも、「MIRAB経済」の考え方はあてはまるのか、ということである。

そこで Bertram and Watters (1985) におけるMIRABを以下のように読み替えてみる。

  • Migration(お金を稼ぎやすい地域への移住)
  • Remittances(他所の地域に移住した親族からの送金)
  • Aid(国・都道府県・自治体からの交付金補助金
  • Bureaucracy(公務員の仕事や公共事業)

Migration(移住)の観点からいえば、離島には産業がないため、現金収入を求めて島外に移住する人が多い。いやかつては多かったというべきか…。近年は、逆に、「島の暮らし」にあこがれて、大都市部から離島に移住するケースも増えていて、この矢印逆向きの「移住」についてどう考えるかについては解釈の余地がありそうである。

Aid(援助)の観点からいえば、島には政府や行政からのさまざまなお金が入っている。離島を抱える基礎自治体の多くにおいては、歳入に占める地方交付金の割合がかなり大きいであろう。また、基礎自治体から離島に地域づくりのためのお金を付けるということもよくある。

Bureaucracy(官僚組織)の観点からいえば、めぼしい産業のない離島での有力な就職先はやはり役所である、といえる。離島出身者が「島に戻りたくても福祉系か公務員以外の仕事がない」とボヤいているのを聞いたことがある(離島に限らず田舎ではどこでもそうである)。

よくよく考えると、福祉系の仕事も、おおもとは行政のお金で成り立っているわけだから、Bureaucracyと関係がある(Aidとして理解すべきかもしれないが…)。公共事業も然り。

問題はRemittances(送金)である。島外の、もしくは島外に移住した親族が、移住先で稼いだお金を、島にある本家(?)に送金するということはあるだろうか? 現代の日本においては、あまり聞いたことのない話ではある。

ただし、離島暮らしのじいちゃん・ばあちゃんには年金がある。それがRemittancesの代わりに機能している可能性はある。年金の出元は、Bureaucracyとして考えることもできるし、Aidとして考えることもできるかもしれない。

このように、「MIRAB経済」の枠組みは、元々の議論との分析レベルの違いに気を付けさえすれば、離島(個別の島レベル)の経済の成り立ちを検討する際にも示唆を与えてくれる。

たとえば…

役所の出張所はMIRAB的である。特養はMIRAB的である。介護タクシーもMIRAB的である。年金暮らしのヒマそうなじいちゃんもMIRAB的である。また、至るところにある生コンの基地もMIRAB的である(公共事業が「お得意様」的な産業)。

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ところで、Bertram and Watters (1985) 論文には、「サブシステンス経済の豊かさ(Subsistence Affluence)」という論点にも言及がある。

サブシステンス経済とは、市場(貨幣経済)に頼らない経済のあり方である。現金収入がなくとも、農や漁によって食べていけている地域があるとすれば、その地域のサブシステンス経済は活発である。おすそ分け文化が発達しているならば、やはりその地域のサブシステンス経済は活発といえる。実際、Bertram and Watters (1985) においては、島嶼国のMIRAB経済を補完するサブシステンス経済の影響についても、示唆的な議論が掲載されている。

今回の八重山行きでも、サブシステンス経済を垣間見る機会は一再ならずあった。

民宿のおっちゃんは自分で水揚げした魚介類の恩恵を多分に受けていた。またある島民は、「仕事が忙しくない時には釣りをして、その日の晩御飯のおかずを調達することもある」と話してくれたり…

農業者には出会わなかったが、新規就農している移住者もそれなりにいるのではないかと思われる。

サブシステンス経済は、見方によれば相当に贅沢な経済である。20世紀は「産業化こそ正義」的価値観が全盛であった。そうした価値観のもとで、サブシステンス経済は日の目を見なかったが、21世紀的観点に立った時、「周回遅れのトップ」と理解することができるかもしれない。

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そもそも論的な話になるが、原始、離島であろうが陸地であろうがどこでもサブシステンス経済だった。それが徐々に貨幣経済化・産業化の波にのまれて、人々は現代的生活様式を身にまとうようになった。日本経済史的視点で説明すれば、江戸時代に貨幣経済化の波が農村にも押し寄せ、産業革命後、より一層の産業化が進展したとみてよい。

産業化が進むと、貨幣経済化ないし市場経済化が進む。社会的分業が進む。多くの人間が、生活のために必要な物資を、海や山から直接採集できなくなる。そうした能力(生産手段)を奪われるのである(マルクス的にいえば「労働者」の誕生)。一度、生産手段を放棄してしまうと、それを再び獲得することは難しい。だから、一度、産業化の途を歩み始めた国家や地域は、サブシステンス経済にはなかなか戻れない。産業化をつき進むしか手段がなくなる(もっともサブシステンス経済はしぶとく残存するが…)

とはいえ、地理的隔絶性、資源の不足などの要因によって、産業化がうまく進展しない国・地域もある。それが、Bertram and Watters (1985) の言うところの「MIRAB国家」であり、日本国内個別地域のスケールで語るならば離島ということになる。そういう場所では、MIRAB経済が発達しがちである。

ただし、そうはいっても、MIRAB経済も、そしておそらく産業化の経済も、残存しているサブシステンス経済との間に補完関係を成立させながら、回っている。

 ところで、離島で暮らすというのはどういうことか。今回の八重山行きで出会った人々の話から類推する限り、大きく分けると以下の4つの暮らし方に大別されるように思う。

  1. 農漁業
  2. 民間企業への就職(土木系・介護福祉系・観光系多し)
  3. 自分で起業
  4. 公務員

 農水産物を販売して貨幣を獲得するのではなく、自給自足的なスタンスでのぞむ限りにおいて、1.はサブシステンス経済の担い手になる。

また、農水産物をじゃんじゃん販売して現金収入を獲得する企業的農漁業であれば、1.は産業化経済の担い手ということになる。

2.の暮らし方をする人は、労働の対価として貨幣を獲得しようというものなので、基本的には産業化経済の担い手になるだろう。このセクターの雇用が少ないと、MIRAB経済のウェイトが高まっていくが、八重山諸島の場合、ホテルや観光関連施設などのように、観光系の雇用がそれなりにある。だから、八重山諸島の経済が、オーソドックスなMIRAB経済論が想定する程に他律的かというと、かならずしもそうとは言えないかもしれない。

ちなみに、民間企業に就職する場合でも、土木系や介護福祉系の企業であったとすれば、MIRAB経済とも密接な関係を持っていることになる。

3.の暮らし方をする人は、基本的には産業化経済の担い手ということいなるだろう。

ただし、自営業者の中には、時間に融通の利く働き方をしている人も多い。そうした人たちは仕事の合間に漁や釣りに出て、晩御飯のおかずを調達してくることもできる。余ったらお隣りさんにおすそわけをすることもあるだろう。海・川・山の資源に直接向き合うことのできる人たちは、サブシステンス経済を部分的に担っていることになる。

4.の公務員はMIRAB経済の担い手といえる。とはいえ、地元では高級取りなので、稼いだお金を地域の中でそれなりに使ってくれることだろう。そういう意味では、産業化経済の担い手と見ることもできるかもしれない。

以上のように、八重山諸島では(でも?)、サブシステンスと産業化とMIRABの論理が交錯していた。

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ちなみに、サブシステンス・産業化・MIRABを貨幣経済化との兼ね合いから整理すると、以下のような分け方になる。

 

【非貨幣媒介的】

  • サブシステンス経済

 

【貨幣媒介的】

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以上、ふとしたことからMIRAB経済論を思い出し、八重山で見てきたもの・聞いてきたものも念頭におきながら、日本の島嶼を分析する際に念頭においておくべきこと、ということで、整理を試みてみた。

もっとも、上記の考察は、思いついた順序で考察していったもので、まだなお粗雑かつ煩雑である。もっとシンプルにソフィスティケートする余地は残されていると思う。

あるいは、MIRABではなくても、日本の島の経済(とくに資金の流れ)を考えるために、もっともっと適合的な枠組みがどこかにあるかもしれない。

稚拙な考察で恥ずかしいけれども、議論を深めていくための「たたき台」になる可能性はあると思うので、そのまま公開の場に掲載しておきたいと思う。

*1:正確には、小学生低学年の頃に友人の家族に引率してもらって新島を訪問したことがある。ただし、どういう場所だったかはほとんど覚えていない。

*2:岡村島、弓削島、興居島、中島など

*3:中島の裏手の怒和島津和地島二神島あたりまで、あるいは宇和海の日振島あたりまで行くと、勝手が違ってくるのかもしれないが…