年末年始覚書

晦日から妻の実家(徳島県某所)に帰省し、元旦には妻実家地元の氏神様に初詣でした。この神社には、まだ2回しかお邪魔したことはないが、境内の広さ、鎮守の森の規模、周囲の農地の雰囲気も含めて、パーフェクトな氏神様だと思う。来年もぜひ参拝させていただきたい。

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 妻の実家で2泊した後は、神戸を訪問することにした。神戸を訪問した理由は、直接的には、元町映画館で上映されている『寝ても覚めても』(2018年:濱口竜介監督)を観たかったからである。とはいえ、ホテルの宿泊料が安かったことも間接的な理由といえる。どうやらこの時期に神戸で宿泊する観光客は相当少ないようである。東横INNやAPAホテルよりは上のグレードの印象がある全国チェーンの某ビジネスホテルのダブルの部屋が、8000円弱であった。神戸に泊まったことはもちろん何度もあるが、ハイシーズンであればシングルの部屋が1万数千円になることもざらである。また、てっきり正月は繁忙期に属するのだとばかり思っていたので、このお値段には驚いた。

車で神戸に出る機会はそう多くはないので、この際だからポートアイランドIKEAに寄って、キッチンを整理するためのラックやワゴンを購入することにした。実を言えば、チェーン店やグローバルリテイラーの商品を身の回りから少しずつ減らしていきたいとすら考えているのであるが、結婚後、気に行ったデザインの家具をチンタラ探しているうちに、キッチンが散らかったまま二度目の年越しを迎えてしまった。そろそろ妻の我慢も限界である。

毎度のことながら、IKEAでの買い物は、商品を物色している間はまだいいのだが、会計を済ませたあとにドッと疲れがやってくる。毎度毎度「二度と来るか!」思うのだが、「喉元すぎると暑さを忘れる」とはこのことなのか、結局のところ何度も来店してしまっている。しかも、「めったに来れない」と思うとなおさら、IKEA側の推奨するコースをついつい細部まで観ながら買い回ってしまうのである。そんなこんなで、結局、2時間くらいは滞在していたのではないかと思われる。ホテルへのチェックインは、当初の14:00頃から大幅に遅れ、18:00を回ってしまった。

ここでおとなしくご飯を食べに行けばよかったのかもしれないが、よくよく考えると妻も僕も六甲からの夜景を見たことがない。僕の車にはスタットレスタイヤを履かせてあるので、仮に道が凍結していたとしても何とかなりそうである。これだけ条件の整っている機会もなかなかないのではないか、ということで、思い切って(厳密にいうと麻耶山であるが…)掬星台まで上がってみることにした。これは大正解だった。

三ノ宮側の眺めよりも灘区・東灘区側の眺めがたいそう良かった。というのも、灘区・東灘区の市街地の向こうに西宮・尼崎・大阪方面の夜景が拡がるのみならず、大阪湾越しに南大阪(泉州)方面まで望見できるのである。これだけの奥行きとパノラマ感を同時に堪能できるところはなかなかないのではないか。正直言って、一昨年の3月に訪問した函館の夜景よりもよかった。長崎の夜景を見たことがないので確たることは言えないが、神戸の夜景は「日本三大夜景」の中でも別格のような気がする。

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とはいえさすがに1月、夜景を見ているうちに身体も冷えてきたので、山を下りてから、まずは一っ風呂浴びることにした。それで小一時間ほど時間を費消し、結果としてホテルに戻ってきたのは22:00ちょっと前になった。そこから三ノ宮界隈に繰り出したのだけれども、当然ながら年末年始なので営業している店が少ない。以前、お邪魔しておいしいなと思っていたやきとんの店は、休業していた。その近くにある、これまた何度か訪問したことのある、リーズナブルでそこそこおいしいやきとんの店は営業しているように見えたが、入店を試みると「すいません~、今日はもう終わりなんですよ~」と断られた。時計の針は22:00を回っていた。年末年始なのでいつもより早めに店仕舞いするようである。

どうしたものかと思って、周囲を歩きまわると、1ブロック離れたところに焼き鳥屋を見つけた。吉田類の番組に出てきそうな、酒場的センスを刺激する外観ではあるが、このタイプの外観の店には「ハズレ」も多いので、以前、前を通りかかった時には、中が気になりつつもスルーしてしまっていた店である。いい機会なのでチャレンジしてみることにした。結論から言うと、これが大正解で、食べるもの食べるものすべてがおいしかった。

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とくに印象に残っているのはタレの旨さである。普段の僕は断然「塩焼き派」なのであるが、ここのタレは辛すぎず甘すぎず絶妙。ねぎまもタレ焼きでおいしくいただいた。どんなつくり方してるんでしょう?

ちなみに、このお店は「中森」という。良く言えば愛嬌のある、悪く言えばクセのあるおばちゃん(おばあちゃん?)が1人でやっているお店で、心してかからないと怒られるので要注意である。今でも後悔しているのは、何品か食べたあとに、おばちゃんが「もう炭を落とした」と言うので、なんとなく「炭で焼いてはったんですね?」と合わせてしまったこと。そしたら「炭やなしにこの味が出るわけないやろ?ようそんな質問するわ」と怒られた。よもやガスだと思っていたわけではないのだけれども、不用意な言葉のチョイスであった。とはいえ、不思議とイヤな感じはせず、このノリで、時に「教育的指導」を入れながら常連客を育てているのだろうなと思った。次に神戸を訪問する際にも立ち寄ってみたい。

翌朝、元町映画館に辿り着くと、まるで映画好きの有志が集まって整備したかのような、手づくり感のある素敵な映画館だった。座席数66席(+車いす用1席)の手頃な規模感。スタッフ総出でのモギリ。飲食物の持ち込みも自由。ただし開演前に「音の出るものや臭いの出るものについてはNG」と、マイクではなく地声でアナウンスが入った。この草の根感はゆふいん映画祭で感じ取った雰囲気と共通していたように思う。

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寝ても覚めても』は唐田えりか東出昌大主演の一風変わった恋愛映画。東出昌大が顔は全く同じであるが性格は正反対の2人の男(麦と亮平)を一人二役で演じている。この設定それ自体、非現実的で受け入れられない、と考える人もいるかもしれない。けれども、こういう極端な設定は思考実験のための与件なのである、と考えれば妙に合点がいく。実際、上記の極端な設定以外については、主人公やその周囲の登場人物たちの考え方や行動にいたるまで、徹底的にリアリティが追究されていたように思う。

詳細な感想については別の機会に整理したいと思っているが、

  • 私たちは恋愛相手のどこに魅かれるのか? 顔なのか? 顔以外の何なのか?
  • 出会った瞬間にフィーリングが合ってしまう運命的な恋愛と、やさしさや誠実さを感じるに連れて徐々に深まっていく恋愛、どちらが私たちを幸せにしてくれるのか?
  • 自分の思いに正直であるとはどういうことか?

いろいろと考えさせられた。暗黙の内に自明視していた恋愛観を揺さぶられるような映画であった。

映画を観終わったあとは、長田の鉄板焼き屋でそばめしを食べながら、妻と映画談議に花を咲かせた。こういう正月も悪くない。 

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別府のおもしろさ

12月6日(木)・7日(金)の1泊2日で別府を訪問してきた。

別府は不思議なまちである。観光資源である竹瓦温泉の周囲に風俗街が盛大に拡がっている。各店のケバケバしいネオン。店の前に立っている客引きの男性。その前をおそらく地元民であろう高齢の夫婦が何事もなかったように通り抜け、竹瓦温泉の入口に吸い込まれていく。別府の度量あるいは寛容性を感じる瞬間である。 

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訪問したかった場所の1つに波止場神社がある。別府のアートイベント「混浴温泉世界」において、現代アート作家のサルキスが「水のなかの水彩画」を発表した神社である。

PEELER/混浴温泉世界 別府現代美術フェスティバル2009 /大分

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訪問してみると、なるほどたしかに、神社のすぐ横に風俗店「non non」。サルキスがこの「non non」にインスパイアされて「水のなかの水彩画」を製作したことについては、BPPU PROCECT、芹沢さん、山出さんたちの出版物・著書の中でも語られている。

https://www.amazon.co.jp/dp/4309908640/

https://www.amazon.co.jp/dp/4990670000/

 

夕方16:00台の訪問だったが、これから店に出勤するのだと思われる、お水風の衣装を着たお姉さんがお参りするでもなく神社の境内を横切っていった。この光景は妙に印象に残っている。

深夜にまちを散策すると、やはりお水風の衣装を着たお姉さんたちが、仕事上がりなのであろうか、それとも休憩中なのであろうか、3人連れでネオン街を闊歩していた。神社で見た光景も含めて、別府は「色気」のあるまちだと思った。

こうした「色気」を排除する方向性のまちづくりがある一方で、寛容に包み込んでしまう方向性のまちづくりもある。別府のまちづくり関係者がどういう意図を持って政策立案しているかどうかについては、慎重な判断も必要になるだろうけれども、意図するとせざるにかかわらず、後者の方向性を一定程度追究できている点に、別府のおもしろさを感じた次第である。

 

「現役」のピンク映画館 

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「別府永久劇場」は更地になってしまっていた(居酒屋くいしん坊の右手奥)。今年に入ってから取り壊されてしまったらしい。

永久別府劇場 取り壊しへ - 大分のニュースなら 大分合同新聞プレミアムオンライン Gate

 

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アート関係者の間ではあまりに有名な清島アパート。残念ながら、今回は訪問する時間をとることができなかった。

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別府駅を山手側に回りこむと BEEPU PROJECT の事務所がある。ご縁がつながり、山出淳也さんにお話をお聞きすることができた。

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別府市役所では『旅手帖 beppu』の現物を拝見する機会に恵まれた。

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『岸和田少年愚連隊』と『岳』

『卒業』と『砂の器』はおもしろく視聴させてもらった一方、『岸和田少年愚連隊』(監督:井筒和幸;1996年)と『岳』(監督:片山修;2011年)に関しては、映画の世界観にいまひとつ入り込めなかった。

岸和田少年愚連隊』は、ケンカに明け暮れるチュンバ矢部浩之)と小鉄岡村隆史)の成長譚…というわけでもなく、ただただケンカに明け暮れるだけの毎日を描いた作品(であるように思えた)。

この映画の登場人物たちは、いまいち正々堂々としていない。数的優位の時には妙に威勢がいいけれども、不利な時には弱弱しく逃げ惑う。不意打ち的なやり方でやり返し、同じようなやり方でやり返される。チュンバたちや、対立する不良グループの面々が、どうしてここまでケンカに明け暮れるのか、よくわからず、いまいち入り込めなかった。

ただし、対立する不良グループに追われて逃げ惑うチュンバたちが、細い路地で追っ手に犬を犬小屋ごと投げつけるシーンでは、笑わせてもらった。

『岳』は、島崎三歩(小栗旬)というよりも、椎名久美(長沢まさみ)の精神的成長を描いた作品に仕上がっている。その一方で、遭難し、救助される側の人物描写には、さほどの時間が割かれていない。原作(マンガ)であれば、遭難される側にも、山に登るそれ相応の理由があることについても、尺(コマ数)を割いて説明していたように思う。しかし、映画の尺は2時間程度なので、遭難者の人物描写に尺を割きつつ、さらに久美の成長までを描き切ることは難しかったのかもしれない。展開が早すぎて、いろいろと無理のある映画だなと思った。

以下、余談。

冒頭に登場する遭難者。アイゼンに雪玉がついて、アイゼンが雪面にうまく刺さらなくなる。そこで、あろうことかアイゼンを外して、ザックの後ろにアイゼンをかけて登り始める。なんてバカなことを! と思っていると案の定滑落。

滑落直後の対応もいただけない。滑落してしまったら、すぐにうつ伏せになって、ピッケルを雪の斜面に突き立てなくてはならない。残雪期(?)とはいえ、雪山に単独行しようという時点で、フツーはこれくらいの訓練はしているはずなのだが…。しかし、この遭難者は、あおむけに滑落してしまう。こうなると、身体と斜面の間にフリクションが利かず、そのまま滑り落ちていくことになる。そして、クレバスの中に落ちる。

ところが、クレバスに落ちていく途中で、ザックの後ろにかけていたアイゼンが氷壁に刺さり、すんでのところで止まる。無謀にも雪渓歩き中にアイゼンをはずしてしまったことが滑落の直接的な原因であるが、その無謀行為のおかげで、いざクレバスの中を落ちる段ではすんでのところで命を救われることになった。ここは、ある意味では笑いどころであった。ただし、登山をやらない視聴者には、こういうことはさっぱりわからないだろう。

その遭難者が、ラストシーンでも再登場し、三歩と再会する。三歩は、九死に一生を得た遭難者が、また山の世界に帰ってきたことを知り、感動する。この遭難者(元遭難者)は、この時はさすがに、アイゼンについた雪玉をピッケルでカツンとやって取っている。つくり手としては「成長して帰ってきたね」ということにしたいのだろうが、クレバスになんか落ちなくてもフツーはそれくらいの技術(?)は身に着くものだと思う。

由布院・玉の湯

12月某日。由布院の玉の湯に泊まった。(おもにご予算的な意味で)めったに来れるところではないので、この機会を逃すまいと思い、ついつい写真を撮りすぎた。

10畳の和室。

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和室の奥に6畳(?)の寝室。

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広縁もゆったり広い。

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お庭もお隣りさんに迷惑をかけない限りで楽しむことができる。

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客室内のお風呂も贅沢。

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桧風呂であることに感激した。さすがは由布院。お湯もかけ流しである。

写真を撮ってはいないが、もちろん大浴場も素晴らしかった。大浴場の脱衣場には、バスタオルも手ぬぐいサイズのタオルも潤沢に用意されていた。だから、客室から大浴場までは手ぶらで移動することができた。建屋内の湯船と露天風呂があった。

夕食や朝食もおいしかった。気が向いたらまたの機会にアップしてみたい。

大木春菜のしごと展

12月2日(日)、宇和島市(旧津島町)御槇の福田百貨店まで、「大木春菜のしごと展」を見に行ってきた。

https://www.facebook.com/events/1612247742416125/permalink/1623452294629003/

大木さんとは面識がある。けれども、よくよく考えると、これまでどのように仕事をしてきたか、詳しくお聞きしたことはなかった。かなりの時間が必要になるであろうことも想像に難くないし、網羅的にお話をお聞きすることが許されるほどに親しい間柄かというと、そういうわけでもないように思うこともあって、お聞きするのを遠慮してしまっていた。今回、福田百貨店内に所狭しと展示された、過去の仕事の数々を見て、いまさらながら「現物は雄弁に語る」と思った。とりわけフリーランスになって以降、対象との向き合い方が丁寧になっているように思うし、手描きの質感を大事にするスタイルも前面に出てきているように思った(的を得ていなかったらごめんなさい)。

やってきたことが「形として残る」ことの素晴らしさ、「形として残す」ことの大切さも感じた。形に残っているからこそ、「仕事展」を開催することができる。それにひきかえ、大学のゼミでやってきたことは、なかなか形に残らない(「三津の町ポスター展」や『やないすと』は、外部の人の力を借りて、なんとか形に残すことができた例外的事例)。ここが苦しいところでもある。

また、この日は、福田百貨店店主の黒田太士さん、東京から愛媛に移住してきたデザイナーの市毛友一郎さんと、大木さんの3人でトークセッションも開催された。これがまたおもしろかったのだが、「オンラインで語れないこと」がテーマのトークセッションなので、見聞した話をここに書いてしまうことは差し控えた方がよさそうである。

実は、市毛さんとも初対面ではなく、以前、JR四国との協働で、予土線沿線の観光資源を掘り起こすプロジェクトに参加した際に、ご挨拶したことがあった。お会いしてお話しするのは4年振りくらいだろうか。

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島のモノ喫茶田中戸とN's kitchen**&labo

11月15日(木)のことなので、もう半月経ってしまっているが、自分の担当する授業(「地域商業論」)に、松山市三津地区で喫茶店「島のモノ 喫茶 田中戸」を営む田中章友さんと、同じく三津地区でパン屋さん「N's kitchen**&labo」を営む小池夏美さんをゲストとしてお招きした。

まず、お二方の店舗の概要について説明してもらったあと、僕の用意した質問に答えてもらう形で授業を進行した。トークセッションっぽい進め方を意識してのことである(あんまり「授業授業した」進め方にしたくなかった)。どのお話もおもしろくて、ついつい追加質問してしまった。結果としてペース配分に失敗し、終盤、学生とクロストークしてもらう時間が少なくなってしまった。この点は大いに反省している。

よくよく考えると、このお二人に並んでトークしてもらえる機会はそうそうない。このシチュエーションの貴重さは、学生に伝わっただろうか…。伝わる子には伝わっていると信じたいところである。

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