滑床渓谷へ

5月3日(金・祝)、妻と一緒に滑床渓谷を散策してきた。

本当は早立ちして、三本杭にまで足を延ばしたかったところだが、寝坊し、準備に手間取り、松山の自宅を出発したのが8:30。松山から宇和島市街までであれば、高速さえ混んでいなければ2時間弱(うまくいけば1時間半)で着く。が、滑床までとなると、プラス1時間は見ておかなくてはならない*1。結局のところ、滑床渓谷の駐車場に到着したのは11時過ぎだった。当初は、滑床を奥千畳まで遡ったあと、二の俣谷~熊のコル経由で三本杭に登頂しようと思っていたが、出発時刻が予定より2時間以上も遅れているので諦め、奥千畳までのユルめの散策に切り替えることにした。

気になったのは、ゴールデンウィークだというのに、観光客の姿が散見される程度だったということ。普段のゴールデンウィークであれば、溪谷を散策したり、水遊びを楽しんだりしている観光客がもっといてもおかしくないのではないかと思う。やはり、昨年7月の豪雨災害以降、消費者に行楽地として想起されにくい状況が続いているのではないか。

もっとも、後述するように、雪輪の滝よりも上流部分は、とくに右岸(溪谷を遡る場合向かって左側の岸)の散策道が要所要所で寸断されていた。地元の方(?)がトラロープを設置してくれていたりして、何とか通行することはできたが、あまりにも軽装備すぎる人や、山登りの経験がまったくない人にとっては、千畳敷や奥千畳まで散策することは難しかったかもしれない。ご参考までに。

 滑床渓谷駐車場の出発時刻は11:20。

f:id:nyamaguchi:20190507002742j:plain

 

万年橋のたもとに年季の入った地図がある。

f:id:nyamaguchi:20190507003116j:plain

 

万年橋から遡り始めて最初に出迎えてくれるのは三筋の滝。

f:id:nyamaguchi:20190507101826j:plain

 

観光客こそ少なかったが、この日もキャニオニングのパーティを3~4組ほど目撃。

f:id:nyamaguchi:20190507003247j:plain

f:id:nyamaguchi:20190507003317j:plain

f:id:nyamaguchi:20190507003431j:plain

f:id:nyamaguchi:20190507003507j:plain

 

「日本の滝百選」にも選ばれている雪輪の滝。ここは特別な装備なしでも滑ることができる。地元の人は、昔から、この滑滝を滑り台にして遊んでいたようである。

f:id:nyamaguchi:20190507003651j:plain

f:id:nyamaguchi:20190507003740j:plain

 

ただし、雪輪の滝の横にあるこの滝つぼ(落合渕というらしい)では、数年前に松山市の中学生が亡くなっている。とくに増水時には、水流に巻き込まれて滝つぼの中から出られなくなる危険性が高い。特別な装備(ライフジャケットやヘルメット)無しで飛び込まない方がいいだろう。

f:id:nyamaguchi:20190507003756j:plain

f:id:nyamaguchi:20190507003839j:plain

 

落合渕のすぐ上に橋がある。けれども、通行止めになっていた。寸断された散策道の再整備作業が、いまも続行中のようである。この時点では、右岸の散策道の荒れ具合がどの程度のものなのかわからなかったので、橋は渡らずに、左岸を遡ることにした。

f:id:nyamaguchi:20190507003900j:plain

f:id:nyamaguchi:20190507003913j:plain

 

氷室跡の上流、千畳敷の手前で入渓。

f:id:nyamaguchi:20190507004009j:plain

f:id:nyamaguchi:20190507004142j:plain

f:id:nyamaguchi:20190507004145j:plain

f:id:nyamaguchi:20190507004218j:plain

f:id:nyamaguchi:20190507004158j:plain

f:id:nyamaguchi:20190507004241j:plain

 

滑床小屋近くの渡渉ポイント。簡易的な木橋が架かっていた。左岸の木にワイヤーでゆわえられている。「増水時には素直に流されてしまえばよい。あとで回収すればよい」という設計思想。

f:id:nyamaguchi:20190507005702j:plain

f:id:nyamaguchi:20190507010019j:plain

f:id:nyamaguchi:20190507005912j:plain

f:id:nyamaguchi:20190507010034j:plain

 

個人的に「宇宙の花」と呼ばせてもらっているギンリョウソウ。

f:id:nyamaguchi:20190507005833j:plain

 

これは何という植物(キノコ?)だろう? あるいはコケの花か?

f:id:nyamaguchi:20190507010050j:plain

f:id:nyamaguchi:20190507102036j:plain

 

入渓したまま遡行するのが難しそうなところで、右岸の散策道にエスケープ。新緑とコケのグリーンシャワーを浴びて、妻もご機嫌である。

f:id:nyamaguchi:20190507010306j:plain

f:id:nyamaguchi:20190507102621j:plain

f:id:nyamaguchi:20190507010323j:plain

 

奥入瀬感の気持ちいいところで再び入渓…

f:id:nyamaguchi:20190507102738j:plain

 

…したのも束の間、遡ってすぐのところが本流と二の股谷の分岐だった。ここが奥千畳である。14:20分到着。スタート地点の駐車場から3時間もかかった…。

持参したカット野菜と鶏ガラスープの素で野菜スープをつくり、おにぎりと一緒に食べた。デザートは鬼北(広見)の道の駅で買った清見タンゴール。朝、出がけに挽いたコーヒーを淹れて、東鳩オールレーズンと一緒にいただいた。気持ちよすぎて、妻は昼寝モードに。

f:id:nyamaguchi:20190507103138j:plain

f:id:nyamaguchi:20190507010408j:plain

f:id:nyamaguchi:20190507010336j:plain

f:id:nyamaguchi:20190507010407j:plain

 

奥千畳の再出発時刻は15:30。1時間以上もくつろいだ。あとは、万年橋までサクっと下るだけである。

f:id:nyamaguchi:20190507010610j:plain
f:id:nyamaguchi:20190507010628j:plain

 

滑床小屋近くの例の木橋を渡り、雪輪の滝までは左岸を下った。

f:id:nyamaguchi:20190507104524j:plain

 

左岸の側にも1箇所だけ、散策道が寸断されているところもあった。有志(?)の方がトラロープを設置してくれているので、どうってことはなかったが、慣れない人にはちとツラいかもしれない。ご参考までに。

その後もサクサク下って、雪輪の滝および落合渕直上の通行止めになっていた橋の近くまで到着。

f:id:nyamaguchi:20190507105041j:plain

f:id:nyamaguchi:20190507105110j:plain

 

展望台で雪輪の滝を見下ろしながら休憩。

f:id:nyamaguchi:20190507105116j:plain

f:id:nyamaguchi:20190507105019j:plain

 

雪輪の滝より下流は、往路と同じ散策道で帰った。遊仙橋までは左岸、遊仙橋以降は右岸。

ちょっといただけないなと思うのは、お役所仕事の石畳である。傾斜がキツめのところを直線的なスロープにしてしまっている。年季が入って苔がついたりすると滑りやすい。とくに、近年は、キャニオニングのお客さんが、アクティビティを楽しんだ後、水滴をつけたままここを下るので、晴れている日でも石畳が濡れてしまい、フリクションが利きにくくい。僕はキャニオニングが悪いのではなく、お役所仕事の石畳が悪いと考えている。面倒でも階段にしておく方がまだマシだった*2
f:id:nyamaguchi:20190507010654j:plain

f:id:nyamaguchi:20190507010650j:plain

 

万年橋に戻ってきたのが17:10。このルートで所要5時間弱ということは、歩行スピードを平均すると時速約1kmぐらいになりそうである…。時間をたっぷり使った、ある意味では贅沢な滑床散策であった。

f:id:nyamaguchi:20190507010643j:plain
--

久しぶりにGARMINGPSロガーeTrex Venture HC)を使ってみたので、軌跡をアップしておく。

f:id:nyamaguchi:20190507173552j:plain f:id:nyamaguchi:20190507173604j:plain

久しぶりに立ち上げたので、GARMINさんもビックリしたのだろう、スタート地点の標高を正しく計測し損ねている(実際は350mといったところだが、50mになってしまっている)。また最高点の標高はGPSのデータ上では797mということになっているが、実際にはせいぜい700mだったはず。渓谷の中では同時に補足できる衛星の数に制約があるので、誤差が大きくなりがちなのだろう。

 

*1:滑床が目的地の場合、宇和島まで高速にのらずに三間I.C.で高速を降りる方が早い。

*2:なお、同様のお役所仕事的石畳は、新居浜の東平から銅山越へと登っていく散策道でも見かけた。

オオクボ君は正しかった

令和時代がはじまった。いい機会なので、平成時代がはじまった時の個人的な記憶を書き記しておきたい。

その頃の僕は福岡県久留米市にいた。昭和天皇が亡くなったのは、小学校1年生の冬休み終了間際のことだった。ちなみに、僕はテレビっ子ではあったが、残念ながら小渕官房長官(当時)の例のあの記者会見については、視た記憶がない。

あれよあれよという間に元号は「昭和」から「平成」へと改められた。

3学期の始業式の日、式に先立ってクラスでの集まりがあった。「朝の会」(ホームルーム)に相当する時間である。担任の先生は、当然のように新しい元号「平成」に言及した。

正確な文言を記憶しているわけではないが、おそらくこんな感じだった。 

-- 

担任:「みなさん、おはようございます。冬休みは楽しかったですか?……ウンタラカンタラ。さて、皆さんも既にご存知のように、元号が『昭和』から『平成』に変わりました。『平成』という元号には、これからつくりあげていく時代をどういうものにしていきたいかという、願いが込められています。『平成』の『平』は…」

 

その時だった。クラスメイトのオオクボ君が、担任の先生を食い気味に、こうかぶせた。

 

オオクボ君:「平和に!」

 

担任の先生も応じる。

 

担任:「………、その通り! 『平和』の『平』ですね!」

 

ところが、その次が担任の想定通りにいかなかった。

 

担任:「では『平成』の『成』は…」

 

オオクボ君:「戦争をしない!」

 

担任:「………。そ、そうですね…モゴモゴ」 

-- 

僕も「違うんじゃないか?」と思った。当時の僕は、「平成」の「成」は「成長」の「成」ではないかと考えたように記憶している。「成長」と「戦争をしない」は、頭文字の平仮名「せ」が一致しているだけではないか。

また、大人になった今言えることとしては、「成」という字の意味は、「成長」というよりも、むしろ「成る」という意味だろう。とすれば、新元号の「平成」には、「平和に成る」転じて「平和を達成する」という願いが込められている。そう解釈する方が自然だろう*1。 

「朝の会」が終わったあとは、始業式のために全校児童が体育館に集められた。今度は校長先生のスピーチである。内容はやはり「平成」ネタだった…

-- 

校長:「『平成』の『平』は…」

 

オオクボ君:「平和に!」

 

校長:「…『平和』の『平』。『平成』の『成』は…」

 

オオクボ君:「戦争をしない!」

 

ここでもやはりオオクボ君の声は体育館中に響き渡った。

--

あれから30年が経ち、改めて思い返してみると、リアルタイムで抱いたのとはまた違った感想も浮かんできた。

1つは、「平成」という元号の意味それ自体は「戦争をしない」という理解で問題ないということである。今にして思えば、担任の先生にしても、校長先生にしても、まず、「平成」を「平」と「成」に分解したうえで、それぞれの字義を確認したあと、改めて「平成」という新元号に込められた意味を解説しようとしていたのである。つまり、オオクボ君は、先生が「成」という字の意味を解説しようとしている段階で、フライング気味に「平成」という言葉の意味を語ってしまったのである。

もう1つは、仮に「平成」の「成」の意味を「成長」の「成」と解釈するのだとしても、そこに「戦争をしない」という意味を込めるのはあながち間違いではないということである。いやよく考えると、「戦争をしない」ようにすることは「成長する」ということそのものではないか。広島の原爆死没者慰霊碑に「過ちは繰り返しませぬから」と刻まれていることが思い出される。

そう考えてみるとなおさら、やっぱりオオクボ君は正しかったと言わざるをえない。

30年間を通して、日本という国は本当に「成長」できただろうか。具体的な出来事への言及はあえて避けておくが、「成長」とはいえないような出来事や論議も、散見されるようになってきた、というのが正直なところでもある。

*1:ちなみに、「成」という字は、小学校4年生になって初めて習う漢字である(cf. 別表 学年別漢字配当表:文部科学省)。しかし、僕の家では、小学校で習う漢字の学年別の一覧表がトイレに張り出されていたこともあり、小学校中学年になってから習う漢字についても、小1の時点でかなりの程度読めるようになっていた。

2019年4月、瀬戸黒森から篠山へ。:アケボノツツジ咲き始めてます

4月22日のこと。山岳部のF君、福田百貨店(@宇和島市御槇地区)の黒田さん、黒田家キッズと一緒に、瀬戸黒森から篠山を縦走してきた。

篠山に登ったことは過去に2回ほどある。いずれもアケボノツツジの時期だった。その時山頂から見えていた瀬戸黒森まで続く稜線に心惹かれ、いつか歩いてみたいと思っていた。

また、瀬戸黒森の西南尾根に風車の建設計画が持ち上がっていることについて、かねてより黒田さんは、「移住者を増やして集落を将来に残していくという観点からは、建設しない方が賢明」と主張してきた。

恐怖の白いタケノコ | 田舎暮らしをおすそ分け いなかマガジン | いなかパイプ

とはいえ、一度建設する方向で動き始めた流れをくい止めるのは相当難しいようで、孤軍奮闘を強いられているとも聞いている。だから、友人である黒田さんが守ろうとしている環境を、一度、自分の足で歩いてみて、自分の目で見て確かめたいと思った。こうした考えも、今回の山行の大事な動機の1つである。

さらに、「せっかくだから…」ということで、山岳部のF君も誘ってみると、2つ返事で「行きます!」とのレスポンスが。いちおうバリエーションルート主体の山行になるから、山岳部的文脈に照らしても、ちょうどいい練習になるのではないかと思った。

そういうわけで、今回は、以下の図のようにコースを取った。まず、Goal地点(篠山第一駐車場)に車2台で行く。そして、Goal地点に車1台をデポ。もう1台の車に乗り合わせてStart地点まで移動する。もう1台の車はStart地点でデポ。そこから山行開始。山行終了後、Goal地点に停めておいた車に乗り込み、Start地点まで移動。デポしておいたもう1台の車も回収する、という作戦である。

f:id:nyamaguchi:20190423211945j:plain

 

最初は作業道(林道)からのアプローチ。

f:id:nyamaguchi:20190424210911j:plain

 

尾根にあがってしまったあとは、気持ちのよい自然林のトレイル。瀬戸黒森まで、急登らしい急登はなく、ゆったりと歩くことができた。トレランの人を連れてきたら喜んでもらえそうである。

f:id:nyamaguchi:20190424210926j:plain

f:id:nyamaguchi:20190424210941j:plain

 

ところどころに椿も自生していた。

f:id:nyamaguchi:20190424210246j:plain

 

木登りできる木も要所要所にあって、フィールドアスレチックさながら。

f:id:nyamaguchi:20190424211727j:plain

f:id:nyamaguchi:20190424211912j:plain

f:id:nyamaguchi:20190424211428j:plain f:id:nyamaguchi:20190424211846j:plain

 

道の真ん中にギンリョウソウの芽らしきものも発見。成長すると宇宙植物のような不思議な花になるので、黒田キッズにも見せてあげたかったな。

f:id:nyamaguchi:20190424212012j:plain

 

標高900~950mくらいの地点だったと思うが、向かって左手に鉄塔があった。風速を計測する機械がついているらしい。

f:id:nyamaguchi:20190424212802j:plain

f:id:nyamaguchi:20190424214953j:plain

 

ちなみに、この風速計測装置のある地点は、下図に示した合計10基の風車建設予定地点のうち最も北東(右上)のものから数えて2つめの地点と思われる(データは「えひめ風車NET 南予の風車計画一覧 - Google My Maps」から借用し、一部加筆も施してある)。こうして建設予定地を見てみると、この日歩いた尾根の上だけでも、6基もの風車が立ち並ぶことになる。当然ながら管理用の自動車道も整備されることになるだろう。そうなるとあの気持ちのよいトレイルもなくなってしまうに違いない。こんなにゆったりと歩くことのできる尾根はそうそうないだけに、山歩きを愛する身としては残念である。

f:id:nyamaguchi:20190424214215j:plain

 

瀬戸黒森西南尾根を歩いていて、もう1つ印象に残ったのは、定期的に登場する年季の入った境界杭である。山歩きをしていると都道府県境に杭が埋め込まれているのをよく見かけるけれども、こんなに年季が入っていて、わざわざ手掘りの文字が刻まれているものは珍しくないか?

f:id:nyamaguchi:20190424220231j:plain

f:id:nyamaguchi:20190424220246j:plain

かつて、このあたりの山域では、伊予と土佐の境界の位置をめぐる争いが絶えなかったらしい*1。詳しいことはわからないが、上掲の杭もおそらく、設置の経緯を調べていくと、すくなくとも廃藩置県の頃までは遡ることができのではなかろうか。

そうこうしているうちに、13:00ちょっと前に瀬戸黒森山頂に到着。スタートが10:40なので、所要2時間20分。距離の割にだいぶかかったが、キッズと遊びながら歩いてきたことを考えると、当然といえば当然である。ここで遅めの昼休憩をとった。眺望は効かないけれども、小広くて、静かで、おだやかで、長居したくなる山頂だった。

f:id:nyamaguchi:20190424221417j:plain

f:id:nyamaguchi:20190424221454j:plain

f:id:nyamaguchi:20190424221919j:plain

 

スタートから瀬戸黒森までは北東に向かって歩いてきたが、瀬戸黒森から篠山までの区間は南東に向かって歩くことになる。結論からいうと、この区間も気持ちのよいトレイルが続いていた。ただし1点だけ留意点がある。瀬戸黒森山頂から下り始めてすぐのあたりの尾根道が寸断されているのである。原因はムチャなつくり方をした作業道(林道)のせい。やむなく計200~300m程度(スイッチバック2回込み)、この作業道を歩くことにした。斜面側から崩れ落ちてきた石が堆積しているおかげで、ザレ場をトラバースする時のような感覚を味わったが、キッズはこんな道の方がかえって楽しそうだったりする。

f:id:nyamaguchi:20190424223003j:plain

f:id:nyamaguchi:20190424223209j:plain

f:id:nyamaguchi:20190424223010j:plain

f:id:nyamaguchi:20190424224822j:plain

それにしてもこの作業道はどこからきてどこに繋がっているのだろう。むしろそれが気になってきた。あと、この区間だけは、冬場はピッケルが欲しいところだろう。

ちょうどいいところで作業道から尾根道に復帰してしばらく進むと、篠山トンネルの直上に到着。ここがちょうど瀬戸黒森と篠山の間の最も低い地点(鞍部)になる。今後は、篠山トンネルをくぐる度に「上の尾根を歩いたことがある」と自慢することにしたい。

f:id:nyamaguchi:20190424223929j:plain

f:id:nyamaguchi:20190424224530j:plain

 

ザレ場もそれはそれで楽しかったが、やはり鞍部よりも篠山寄りの区間が気持ちのよいトレイルだったと思う。木登り休憩(?)を挟みながら進んだ。ただし、終盤、篠山に近づいてくると、尾根の幅が拡がってきて、どこでも歩けるような状態になった。気を抜くと目標としている方角をロストするかもしれなかったので、念のためシルバコンパスを出して、進行方向を確認しながら進んだ。もっとも、登りの場合はさほど心配する必要はない。注意すべきなのは逆方向、つまり、篠山側から下る時だろう*2。ともあれ、地図読み的にもルートファインディング的にも、いい練習になったのではないかと思う。

f:id:nyamaguchi:20190424225358j:plain

f:id:nyamaguchi:20190424225432j:plain

f:id:nyamaguchi:20190424225617j:plain

f:id:nyamaguchi:20190424230137j:plain

f:id:nyamaguchi:20190424230143j:plain

 

そんなこんなで、篠山山頂到着は16:10。山頂付近のアケボノツツジは満開! というわけにはいかなかったが、気の早い株だけは綺麗な花をつけていた。おそらく数日中に他の株も開花し始めるものと思われる。今度の週末はぜひぜひ篠山へ!

f:id:nyamaguchi:20190424230918j:plain

f:id:nyamaguchi:20190424231053j:plain
f:id:nyamaguchi:20190424230947j:plain

 

f:id:nyamaguchi:20190424231334j:plain

f:id:nyamaguchi:20190424234200j:plain

 

youtu.be 

それにしても、いつ来ても篠山山頂(厳密には山頂の肩から北に向かって突き出している岩)からの眺めはすばらしい。

f:id:nyamaguchi:20190424231515j:plain
 

ただし、ことこの日に限っていえば、お目当ては瀬戸黒森側のこの眺めだろう。

f:id:nyamaguchi:20190424235218j:plain

 
というのも、篠山山頂からは、今回歩いたルートのほぼほぼ全区間を眺めることができるのである。とはいえ、思っていた以上に、本当によく見える。今回の山行の計画段階では、「あの尾根を歩いてきたんだ」という満足感がこんなに大きいとは思っていなかった。嬉しい誤算である。
f:id:nyamaguchi:20190424234409j:plain

f:id:nyamaguchi:20190424235859j:plain

 

風速測定器の鉄塔もよく見えていた。ちなみに、鉄塔の左手奥にうっすら見えているのはおそらく竹ヶ島だろう。

f:id:nyamaguchi:20190425005317j:plain

f:id:nyamaguchi:20190425005511j:plain

 

そういうわけで、篠山のピークハントはほぼほぼオマケのようなものだったといってよい。

f:id:nyamaguchi:20190425000250j:plain

f:id:nyamaguchi:20190425000256j:plain

 

篠山からの下りはサクっと下りて、17:30にGoal地点に到着。高低差はさほどないけれども、歩きごたえはしっかりある、いいコースだったと思う。

また、アケボノツツジの時期は、篠山が最も注目を集める時期でもある。こんな時だからこそ、あえて篠山と絡めながら瀬戸黒森を紹介してみた。隣りの瀬戸黒森もすばらしい山であることを、多くの方々に知っていただきたい。

ちなみに、Goal地点である篠山第一駐車場では、長崎から来たという三百名山ハンターのおっちゃんが晩御飯を食べていた。今夜は車中泊し、明朝、篠山にアタックするようである。祓川温泉には入って帰ってくれただろうか? 

f:id:nyamaguchi:20190425000326j:plain

 

コースタイム

Start(10:40)‐瀬戸黒森西尾根に取りつく(11:00)‐鉄塔(12:30)‐瀬戸黒森山頂(13:00-13:30)‐尾根が寸断されてできた崖(13:45)‐P922(14:50)‐篠山北尾根・西尾根分岐(16:00)‐篠山山頂(16:10-16:45)‐大杉に寄り道(17:00)‐Goal(篠山第一駐車場)(17:30)

※ 6歳児と一緒に歩いている。成人オンリーの山行ならもっと早いはず。

 

余談

ところで、この日の山行で、10年弱使ってきた登山靴のアウトソール(靴底)がはがれた。ちょうどザレ場と化した作業道を歩いている時に、右足の靴底がはがれはじめていることに気がついたが、その後はあれよあれよという間に、左右両方ともソールがはがれおちてしまった。黒田さん曰く「靴って左右同時に壊れるんだ…」(笑)

 

f:id:nyamaguchi:20190425000604j:plain

f:id:nyamaguchi:20190425000523j:plain

 今回の山行には難しい区間がなかったからよかったけれども、岩稜歩き込みだったならヤバかったかもしれない。歩行困難になった時点が登山靴の寿命なのではなく、おそらくそのちょっと前の時点で既に寿命は尽きているわけである。今後の反省材料としてメモしておきたい。

 

*1:cf. データベース『えひめの記憶』|生涯学習情報提供システム

*2:幅の広い尾根を下る時に、主稜線を外して支尾根に迷い込み、そのまま遭難してしまうケースがけっこうある。

大島石をはつる

伝統工法にこだわった家づくりを実践しておられる建築士の橋詰飛香(野の草設計室)さんから、「大島石をはつりませんか?」とのお誘いをいただいた。なんでも、これからつくる家の土台になる石を、有志メンバーではつる(削って形を整える)らしい。なかなかない機会なので、学生を連れて参加させてもらうことにした。4月21日(日)の話。

結/Yui 大島石体験&『石はつり隊』結い作業のご案内

今回のイベントは、橋詰さんの野の草設計室が、NPO法人能島の里の協力も得ながら開催した形になるようである。能島の里は、普段から「石文化体験メニュー」の企画・運営に携わっており、採石場で体験メニューを安全に実施するための、十分なノウハウを持っている。

また、イベントの趣旨を理解するためには、橋詰さんの普段の活動についてもある程度理解しておく必要があるかもしれない。既にふれたように、橋詰さんは伝統工法にこだわった家づくりを実践しておられる。「伝統工法にこだわる」ということはどういうことか? 木造にこだわり、新建材を使わずに、古き良き日本の家づくりを実践するということである。すると、まるで建物自体が呼吸をしているかのような素敵な家ができあがる一方、新建材でサクっと建てた家を購入する場合よりも、お金は必要になってしまう。結果として、日本の伝統的家屋の良さは認めつつも、金銭的な制約によって、現実的には新建材の家を選ばざるをえない人が多くなってしまうわけである。

そこで、近年、橋詰さんは、有志によるワークショップ形式の共同作業を取り入れて、家の建築資金を一定程度抑える方法を模索している。もちろん、プロに任せなくてはならないところはプロに任せる。けれども、やりよう次第では、素人さんに作業させても、それなりに何とかなる箇所もあるらしい。僕自身も、以前、竹小舞を編む作業や、土壁を塗る作業に参加させてもらったことがある。そして、こうした共同作業のことを、橋詰さんは、現代版の「結(ゆい)」として位置づけようとしているわけである*1。そういうわけで、今回のイベントには、橋詰さんが建てようとしている家の施主さんも参加されていて、昼食のカレーをふるまってくださった。

当日は、今治市営球場の駐車場に9:30に集合したあと、参加者同士、可能な限り同乗することで、来島海峡大橋(有料)を渡る車の台数を減らす作戦で、宮窪地区のカレイ山展望台の駐車場まで移動した。 展望台駐車場から、徒歩で数分程下ったところに、はつり体験の会場である水の谷石材さんの石切場があった。ちなみに水の谷石材さんは、普段から、「石文化体験ツアー」の石割体験会場を提供しているそうである。

 f:id:nyamaguchi:20190421182523j:plain

f:id:nyamaguchi:20190421182630j:plain

 

作業の進め方や、注意点についての説明を受ける。

f:id:nyamaguchi:20190421182656j:plain

f:id:nyamaguchi:20190421182715j:plain

 

今回、はつる石は、家の柱を支える土台として使うらしい。この石の上に柱がのるということである。石の表面がツルツルしていると、ちょっとしたことで柱がずれてしまう可能性もある。だから、石の表面をザラザラにしたい。100%正確に理解できた自信がないけれども、今回のはつり作業の意味はそんな感じだと思われる。

数分ほどはつった石材。こんなもんではまだまだはつりが足りない。

f:id:nyamaguchi:20190421182809j:plain

 

上背がないとはつり用のハンマーにうまく体重がのらない。ゼミ生のKさんは慣れるまで一苦労していた。ハンマーが怖くて腰が引けている点も、いまいち体重が乗りきらない要因といえる。体重が乗りきらず、力が入らないので、ハンマーが暴れ回ってしまうのである。

f:id:nyamaguchi:20190421182848j:plain

f:id:nyamaguchi:20190421182902j:plain

 

参加者がはつり作業を進めている間に、石切場の片隅から煙が上がり始めた。気になったので見に行ってみると、即席のかまどの上にセットした羽釜でお米を炊いているようだった。

f:id:nyamaguchi:20190421182945j:plain

f:id:nyamaguchi:20190421182953j:plain

 

石切場の隅には、使い道のない端財の石が積まれていた。これらの使い道を考えることにも意義がある。大学に期待されているのはこういう分野での貢献だろう(あるいは高校の地域研究にも適合的といえるかもしれない)。

f:id:nyamaguchi:20190423165806j:plain
f:id:nyamaguchi:20190421183022j:plain

 

そうこうしている間に、はつり作業完了。この石に関しては、当ゼミ生だけで最初から最後まではつりきったことになる。もっとも、石はまだまだあるのだけれども…

f:id:nyamaguchi:20190421183041j:plain

 

お昼になったので、みんなで、施主さんが腕によりをかけてつくったカレーをいただいた。

f:id:nyamaguchi:20190423164110j:plain

f:id:nyamaguchi:20190421183126j:plain

f:id:nyamaguchi:20190421183120j:plain

f:id:nyamaguchi:20190421183144j:plain

 

正確な文言は忘れたが、水の谷石材の村上社長が「こんなことになる(ここでみんなでお昼を食べることになる)とは思っていなかった…」とおっしゃっていた(もちろん否定的なニュアンスは感じられない言い方だった)。おそらく、石文化体験ツアー的文脈では、採石場でそのまま食事会を開催することなど思いもよらないことだった、ということなのだろう。とはいえ、橋詰さんのやり方的には、共同作業に参加した全員で一緒にご飯を食べるというプロセスは、はずせない要素の1つである。現代版の「結い」として位置づけるならばなおさらのこと。どうやら、今回の参加者たちは、水の谷石材、能島の里、野の草設計室それぞれのノウハウや発想が融合し、新しいものが生み出された瞬間に立ち会うことができたようである。 

昼食後に、石切現場の見学ツアーが企画された。

f:id:nyamaguchi:20190421183215j:plain

f:id:nyamaguchi:20190421183238j:plain

f:id:nyamaguchi:20190423170051j:plain

f:id:nyamaguchi:20190423170127j:plain

f:id:nyamaguchi:20190421183321j:plain

 

どうやってこんな断崖絶壁が出来たのか? 数十年かけて上から掘り下げてきたらしい。岩肌にはきっと、職人さんたちの汗と労苦が染み込んでいるに違いない。そして時には血が染み込んだこともあるのだろう…。「まるでグランドキャニオンだ!」と感嘆することも大事だが、その背後にある労働の尊さにも意識を向ける必要がある。

はつり作業の動画。終盤になるにつれて、作業の習熟度が徐々に上がっている。動画を見返すとそれがよくわかった。

 

youtu.be 

f:id:nyamaguchi:20190421183355j:plain

 

作業終了後、橋詰さんお手製の蒸しパンのほか、参加者のもちよったお菓子もシェアして、おやつタイム兼反省会。他の参加者さんの話を聞いていると、子育て世代あり、移住してきたテレワーカーあり、大工さんあり、そしてわれわれのような大学関係者ありで、橋詰さんの企画するワークショップは、多様な属性の人々が集う場としても機能し始めているのだな、と改めて感じた次第である。

f:id:nyamaguchi:20190421183407j:plain

f:id:nyamaguchi:20190421183456j:plain

 

--

ちなみに、昨年の4月に、橋詰さんが担当している別の家の、竹小舞編みと土壁塗りに参加させていただいたことがある。その時に、床下を覗かせていただいた。参考までにその時の写真もアップしておく。今回はつった石も、おそらくはこのような使われ方をするのではなかろうか。

f:id:nyamaguchi:20190423173828j:plain

f:id:nyamaguchi:20190423173841j:plain

 

*1:橋詰さんの野の草設計室について詳しく知りたい方はウェブサイトをご参照ください。http://nonokusa.com/

由良野の森へ

4月14日(日)に学生を連れて「由良野の森」にお邪魔してきた。羊の毛刈りイベントである。当然ながら、僕も学生も、羊の毛刈りを間近で見たり、実際に刈らせてもらったりするのは初めてだった。

10:00頃、由良野の森に到着すると、ほどなく羊さん登場。若干、いやがっている…

f:id:nyamaguchi:20190418185435j:plain

 

羊は、倒されるのをいやがる。けれども、一端倒されてしまうと、観念したようになるところがまたかわいい。

f:id:nyamaguchi:20190418185502j:plain

f:id:nyamaguchi:20190418185516j:plain


f:id:nyamaguchi:20190418184246j:plain

f:id:nyamaguchi:20190418184301j:plain

 

バリカンを使うところもあるようだが、由良野の森では裁ちバサミで丁寧に切っていた。

f:id:nyamaguchi:20190418184435j:plain

f:id:nyamaguchi:20190418184512j:plain

 

f:id:nyamaguchi:20190418184615j:plain

最後は、毛の抜け殻ができあがった。

f:id:nyamaguchi:20190418184648j:plain

 

羊小屋に遊びに行ってみると、午後の部で毛を刈られることになる羊さんが、小屋のすみっちょでうずくまっていた。

f:id:nyamaguchi:20190418185159j:plain

 

小屋の外には、前日に毛を刈られてしまったお母さん羊と子羊。

f:id:nyamaguchi:20190418184543j:plain

 

製品化の例として見せてもらったスリッパ。天然ウールは摩擦にも強いので、長く使えるらしい。

f:id:nyamaguchi:20190418184832j:plain

 

由良野の森では、羊のほかに、ヤギ、ニワトリも飼っている。

f:id:nyamaguchi:20190418185015j:plain

f:id:nyamaguchi:20190418185003j:plain

 

ニワトリとたわむれていたら、いつのまにか午後の部が始まっていた。やはり、先ほど小屋の片隅にうずくまっていた羊が、倒されて、神妙な面持ちになっていた。

f:id:nyamaguchi:20190418185114j:plain

 

由良野の森では、自然の中での体験教室や、森を復元するプロジェクトなど、様々な活動を展開している。内容があまりに多彩すぎるので、このエントリーで説明しつくさない方がいいように思う。そういうわけで、ご興味のある方は、由良野の森のウェブサイトをご高覧いただきたい。

yuranonomori.jp


追記(2019/04/24)

毛刈りの際の動画を編集した。ご興味のある方はご高覧いただきたい。

youtu.be

ストリップ劇場物語

「ストリップ劇場物語」というテレビのドキュメンタリー(を録画したもの)を視聴した。テレビマンユニオン制作による50分強のドキュメンタリー作品で、元々は、2018年6月1日にBSフジで放映されたものらしい。

序盤こそ、筧利夫さん、広末涼子さん、杉田成道さんが、実際にストリップショーを観覧し、感想を述べ、そのまま踊り子にインタビューするシーンがあるものの、それ以降、この3人はまったく登場しなくなる。筧さんや広末さん目当てでこの作品を視聴すると、おそらくガッカリすることになるので、ファンの方はご注意されたい。

このドキュメンタリーの主人公は浅草ロック座の南まゆさんと武藤つぐみさん。新しい公演を準備段階から公開まで追いかける形式のドキュメンタリーである。
直接的にそういうナレーションが入っていたわけではないが、この番組が視聴者に伝えようとしているメッセ―ジは、おそらく以下のようなものであろう。

 

  • ストリップは「単なるやらしい見世物」ではなく、研鑽を重ねたプロの踊り子たちによる立派なショービジネスである。


アザだらけになりながらポールダンスの練習をする武藤つぐみさんの映像が印象的だった。
近年、ストリップへの社会的イメージが変わりつつあることも、番組のトーンに影響を与えている。気軽に観覧する女性客も増えているようである。番組の中でも、武藤さんについている女性ファンの多さへの言及があった。

番組内では、ストリップ劇場の新しい試みとして、ニュー道後ミュージックの取り組みも紹介されていた。というのも、ニュー道後ミュージックでは、地元松山のアーティストとのコラボレーションイベントの機会を増やしているのである。踊り子として登場していたのはゆきみ愛さん、地元アーティストとして登場していたのは blue lagoon stompers の面々と仙九郎さんだった。

 

追記(2020/04/03)

上記の「ニュー道後ミュージックでは、地元松山のアーティストとのコラボレーションイベントの機会を増やしている」と関連して、以下のような論文を書かせていただく機会に恵まれた。

https://opac1.lib.ehime-u.ac.jp/iyokan/TD30295547

  • ニュー道後ミュージック社長の木村さん
  • コラボストリップのアイデアを木村さんに提案し、自ら実践した、踊り子の牧瀬茜さん
  • 地元アーティストとして踊り子とコラボレーションするのみならず、踊り子と他の地元アーティストとの間の窓口的役割も果たしているblue lagoon stompersの白石さんと吉井さん

たちへのヒアリング調査をもとに、コラボストリップ成立の経緯や定着要因について、不十分ながらも検討を試みている。ご興味のある方はご高覧いただきたい。

また、この論文を脱稿してから、ストリップ劇場のあり方について法学的切り口からアプローチするブログの存在を知った。

stg318.hatenablog.com

このブログにもっと早く出会っていれば、ストリップ劇場を取り巻く法制度についてももっと勉強してから論文を書くことができた。自らのアンテナ感度の悪さを悔いるところである。

今治へ

昨日のこと、今治ホホホ座で開催された「3.11以降の私(たち)」というイベントにお邪魔してきた。

キャンプシアター presents 『3.11以降の私(たち)』

このイベント、入場料は野菜でOKとのこと。参加者の持ち寄った野菜を炊き出しにしてみんなで食べるらしい。よく思いつくなぁ、こんな仕組み。

ホホホ座に着くと、さほど広くはないホホホ座の屋内空間の中に、おそらくはsnowpeak製であろう…、お洒落なドーム型テントが鎮座していてビックリした。

f:id:nyamaguchi:20190322201843j:plain

 

野菜もしっかりと集まっていた。ちなみに僕(と妻)が持ち寄ったのは、玉川の産直で購入した春菊と原木シイタケ。

f:id:nyamaguchi:20190322202136j:plain


ホホホ座のコアメンバーの方々が、一生懸命炊き出しを調理してくれていた。その間に参加者たちは、劇団250km圏内の演劇を観覧(?)し、そのあと、3グループくらいに別れて、震災後の生活や原発のことについて語り合った。

f:id:nyamaguchi:20190322201941j:plain

 

ちょうどいい具合にお腹が空いたところで、いよいよお待ちかねの炊き出しタイム。

f:id:nyamaguchi:20190322201925j:plain

f:id:nyamaguchi:20190322201928j:plain

 

とはいえ、炊き出しを食べながらも、青砥さんの解説が続く。青砥さんは復興過程の東北で見てきたものをスライドにして解説してくれた。
f:id:nyamaguchi:20190322201954j:plain

 

昨年7月の集中豪雨の時に、ここ今治ホホホ座も支援物資の集積場所になった。そういう経緯があって、今回のイベントでは、大州の方々からのお礼のイチゴがふるまわれた。

f:id:nyamaguchi:20190322202006j:plain

 --

ところで、ここのところの今治はおもしろい。そしておもしろいことの多くに今治ホホホ座がかんできている*1

先月お邪魔させてもらった「タケオとヤミーの『今治で逢いましょう』」もおもしろかった。このイベントも主催は今治ホホホ座の面々である。

タケオとヤミーの「今治で逢いましょう」

イベント内容は、トウヤマタケオさんのピアノ演奏に合わせて、yummydanceの宇都宮忍さんと合田緑さんがコンテンポラリーダンスを披露する、というものである。とはいえ、とくにコンテンポラリーダンスについてはドシロートなので、詳しい感想は胸の内に留めさせてもらうことにして、むしろこのイベントの会場になった場所のことを書き留めておきたい。

会場となったのはビサージュ(VISAGE)という、閉業した商業施設跡地である。そこそこ大きい商業施設(ファッションビル)で、バブルの頃、外部資本の出店に対抗すべく、地元の人たちがお金を出し合ってつくった商業施設らしい。とはいえ、中心市街地の地盤沈下と歩調を合わせるように業績を悪化させ、閉業。その後、遊休施設となってからは長らく眠っていた物件である。

「せめてイベントの時だけでも…」ということで、場所を開けてもらったのだろう。中心市街地にとって、そのことの持つ意義はものすごく大きいはずである。ホホホ座の吾一さんにお聞きしたところ、この日は、商店街内で「空想商店街」というイベントも開催されており、そのイベントの企画者である地域おこし協力隊員のOさんが、ビサージュの持ち主に交渉を試み、話をまとめてくれたらしい。

ずっと中が気になっていた施設なので、イベントの休憩時間に、何枚か写真を撮らせてもらった。吾一さんたちは、上階層も見てきたらしい。うらやましい… f:id:nyamaguchi:20190322204517j:plain

f:id:nyamaguchi:20190322204449j:plain

f:id:nyamaguchi:20190322204429j:plain