bamatsukaiのこと

昨年の5月から、bamatsukaiと呼ばれる有志勉強会に参加している。「勉強会」といっても、毎回、その道のスペシャリストをゲストとしてお呼びする点を除いては、いたって勉強会らしくない、自由気ままに語り合うだけの、フランクな集まりである。

今月の会場は、湊町の「ひがき」へ。一番乗りで入店すると、小上がりが「合コンシフト」になっていた(笑)

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今回のゲストは、セトヘン(瀬戸内編集デザイン研究所)の宮畑周平さんである。今回のbamatsukaiのために、弓削島からわざわざ来ていただいた。おそらくは、過去、最も遠いところからお越しいただいたゲストである(これまでの最遠ゲストはおそらく西予からお越しいただいた井上真季さん)。

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宮畑さんの経歴については、ご本人のウェブサイトが一番詳しいと思うので、こちらでは敢えて書かないでおく。

https://www.setohen.com/about

以下、当日、印象に残った話をメモしておく。

宮畑さんは、山登りが趣味であるため、元来、自然の豊かな場所で暮らしたいという思いを強く抱いてきた。様々な選択肢がある中で弓削島を選んだのは、宮畑さんの奥さんのご実家に弓削島との所縁があったからである。僕も、仕事柄、さまざまな移住者の方にお話をお聞きしてきた。そうした経験をふまえると、奥さんのご縁を伝って移住してくる男性の方は、けっこう多いように思う。

移住8年目。現在は、写真家やライター業も含めて、様々な仕事を引き受けるかたわら、セトヘンの活動で、瀬戸内地区の魅力をじわじわと発信している。なお、宮畑さんは、撮影や、ライター業も含めて、様々な仕事を引き受けているけれども、自己アイデンティティの根幹は編集業にあるという。

bamatsukai当日には思い浮かばなかった論点ではあるが、自分のベースとなる準拠点を定めることにはどういう意味があるだろうか。もし追加の質問を許される機会があるのならば、宮畑さんにおうかがいしてみたいと思った。「分人」(平野啓一郎)的考え方にしたがえば、人間が複数の顔を持つことは当然で、「本当の自分」とは何なのかを問う姿勢は、われわれの暮らしをかえって窮屈にするものとされる。とはいえ、僕も、それでもなおどこかに、ベースとなる準拠点が必要であるように思うからこそ、聞いてみたいと思った。

県境経済圏の確かな存在を想起させる話も興味深かった。上島町は、元来、広島県側との経済的結びつきが強かった地域である。宮畑さんも、愛媛県側の上島町今治市からだけでなく、広島県側や山口県側からの仕事も多くこなしているという。

最も盛り上がったのは、宮畑さんによる「自分の撮る建築写真は、編集者目線で説明的なものが多いかもしれない」との発言に端を発して、「写真が『説明的』とはどういうことか?」、「どのようなものが『アーティスティック』といえるのか?」といった論点について語り合った時間帯である。この流れをつくった功労者はbamatsukaiメンバーの宮内さん。最終的には、「アートとデザインの境目はどこにあるのか?」といったお約束のテーマにまで議論が発展し、非常に楽しかった。

bamatsukai終了後は、東横インの裏手に7月にオープンした「和酒さとう」へ。店主(?)の佐藤さんは、前職時代に弓削島で暮らしていた。だから、宮畑さんと佐藤さんの間には面識がある。宮畑さん曰く「お店を出したという話は聞いていたので、ちょうど訪問してみたいと思っていたところだった」。実は僕は10月だけでかれこれ4回目の訪問になる。さすがに佐藤さんも僕の顔と名前を覚えてくれた。

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