ちいさい三津、みいつけた。

先日の土曜日(11月3日)、三津・木村邸で開催された「ちいさい三津、みいつけた。」を観覧してきた。

三津浜の今を楽しむシンポジウム「ちいさい三津、みいつけた。」

到着したのがシンポジウムの始まる16:00前ギリギリだったこともあり、その直前の時間帯で披露された音楽ライヴを聴きのがした。

「何故、三津に惹かれるのか。」というテーマで開催されたシンポジウムは、さがら精肉店の清水さんの司会で進行し、サトコさん、田中戸さん、くーこさん、ヤマウチケンジさんがそれぞれ、三津への思いを語った。

途中で思いがけず、2015年にゼミ生や、MBCクリエイティヴ校の学生たちと一緒に実施した「三津の町ポスター展」に話題が及び、「なぜ開催地を三津にしたのか?」と話を振られ、ビックリした。その時は咄嗟に、「他の商店街では断られると思った。三津なら受け入れてもらえるような気がして、お願いしてみたら、実際にOKが出た」というような話をしたが、よくよく考えてみると、この言い方だと、「消去法で三津を選んだ」ことになってしまうかもしれない。実際のところ、「三津がおもしろいところ」だという認識は当時から持っていて、「やるなら三津で」という思いは強かった。
2012年に赴任した時点で、同僚の佐藤先生の授業を手伝い、その時に田中戸さんとお知り合いになった。また、同じ年にひょんなことから、ダンサーの三好直美さんとお知り合いになり、そこからアート系NPOカコアの方々とも親交が深まった。カコアそれ自体はかならずしも三津に拠点をおく団体というわけではないが、メンバーの多くは三津と関係の深い方ばかりで、それ以降、三津で開催されるイベントに誘っていただく機会も一気に増えた。そんなこんなで、ポスター展の計画を練り始める2014年頃には、三津の若手商店主の皆さんともかなりな程度お知り合いになっていたのである。しかも、内装のセルフビルドを愛し、こだわり商品を販売する、三津の若手商店主たちの経営スタイルは、当時から、愛媛の商店街の中で異彩を放っていたと思う。だから、僕の中では「消去法で三津」ということではなくて「積極的に三津」なのである。もう少し尺をいただけたらなら、この点をもう少し強調したかったところである。

シンポジウムでは、「家賃の安さ」や「面白い人の多さ」がやはり話題の焦点となった。個人的に興味深かったのは、三津浜リエーターズが、外(おもとして行政)から持ち込まれるイベントを、なるべく引き受けようとしていた時期があるという話である。何回か試してみた結果、外部から要請されて実施したイベントは、いまひとつ楽しめないことがわかったという。したがって、近年は、自分たちのやりたいこと以外は基本的にやらない、というスタンスを以前よりも強めている。最後の論点(自分たちのやりたいことにこだわる姿勢)については、三津浜リエーターズと付き合いのある人たちの間では割と有名な話である。ただ、その前段階に、外からの話をなるべく引き受けようとしていた時期がある、という話を、僕は初めて聞いた。

ところで、よくよく考えてみると、「三津の町ポスター展」もそういう時期に「一緒にやりませんか?」とお願いした経緯がある。タイミング次第では、断られていたかもしれないのだな、としみじみ思う。

ポスター展が三津に残したインパクトは微々たるものだけれども、僕の方は、この時の取り組みを通して、三津の方々との関係をさらに深めることができたし、それを足掛かりにして新たな活動に結びつけることもできた。この時に深まったご縁がなければ、その後、ウチのゼミ生に三津の家賃水準を調査させてもらうこともできなかったと思うし、FLORの徳永さんからオファーを受けて木村邸の改修工事に関わることもなかった。三津というまちの寛容性には感謝している。

シンポジウムのあとに、ヤマウチケンジさんが監督をつとめた映像作品の上映会が開催された。サトコさんが三津にインスパイアされて制作した音楽(「わたしの中に住む街」に所収)に、現在の三津の映像を重ねた作品である。単なる記録映像ではなく、実験的要素も多分にある面白い作品に仕上がっていたと思う。

 

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